第11話

 まるで淑女のようにエスコートされてしまうのはどうなのかと思うが、皇帝であるレオニートを煩わせてはいけない。

 結羽はそっと、大きな手のひらに自らの手を重ね合わせた。

 温かい。とても。

 レオニートの手を直に触れるのは初めてだ。

 彼の手は怜悧にも見える美貌に反して、火傷しそうなほどに熱かった。

 しっかりと握り込まれて、さらに腰を抱かれながら席へ案内される。

「さあ、席に着こう。ユリアンも待っている。料理長のセルゲイは腕によりをかけて今宵のコースを作ってくれたそうだ」

 晩餐会といっても、内輪の夕食会のようなものなので堅苦しさはない。重厚なテーブルを囲むのはレオニートに、ユリアンと結羽の三人のみ。

 忙しいレオニートは重臣たちとの会談中に食事を摂ることが多いので、結羽は普段の食事は部屋でひとりで食べている。ユリアンが一緒に食べたいとねだってくれたこともあるのだが、身分の違う者が食卓を共にしないのは不文律であるとダニイルから告げられてしまい、叶わなかった。

 祖母が亡くなってからはいつもひとりなので、孤独には慣れている。

 けれど本音は誰かと一緒に食べられたらいいなと思っていたので、レオニートが晩餐会に呼んでくれたのはこの上もなく嬉しかった。

 すでに着席していたユリアンは白い頬を紅潮させて、薔薇色に染めていた。

「ぼくは結羽といっしょに食べたかったんだ。いつもひとりで、つまらないんだもの。兄上もいてくれて嬉しい!」

「はは。私は結羽のおまけのようだな」

「あっ、そんなことないよ」

 ユリアンは悪戯がばれたときの子どものように、ぺろりと舌を出して肩を竦めた。

 仲の良いふたりの会話に釣られて結羽も笑いを零す。

 ユリアンの向かいの空席が、結羽の席らしい。純白のテーブルクロスを彩る銀色のカトラリーが、幾つもの蝋燭の灯火に煌めきを撥ねさせている。華麗なカッティングのグラスは宝石のように光り輝いていた。

「さあ、どうぞ。結羽」

 レオニートは精緻な彫刻が施された椅子を引く。

 いくら客人という立場とはいえ、皇帝自ら椅子を引いてくれるなんて。

 レオニートを見上げれば、彼は微笑みを浮かべながら頷いてくれた。

 今日だけは、甘えよう。

 結羽も微笑を返して、レオニートが引いてくれた椅子に着席した。羅紗張りの椅子は、ふわりと身体を受け止めてくれた。

 向かい合わせにユリアンと結羽が座り、上座の席にレオニートが腰を下ろす。

「晩餐会を始めよう。結羽がアスカロノヴァ皇国を訪れてくれた、歓迎の宴だ」

 レオニートの手でワイングラスが掲げられた。ユリアンと結羽もそれに倣い、グラスの柄を摘まんで掲げる。ただしユリアンのグラスの中身はオレンジジュースだ。

「お招きいただきまして、ありがとうございます」

 ワインの芳醇な香りが鼻孔をくすぐる。レオニートはグラスをゆるりと回して香りを愉しむと、薄い唇に繊細な縁を付けてグラスを傾けた。

 結羽もレオニートの嗜み方に倣い、彼と同じように濃厚なワインを口に含んでみる。

「美味しい……」

「それは良かった。アスカロノヴァ皇国のメインの料理はジビエだ。ぜひ堪能してほしい」

 雪と氷に覆われたアスカロノヴァ皇国では狩猟が食糧確保の重要な手段である。他には海岸で取れる魚介類、春になれば農耕による農作物も収穫できるそうだ。

 エンドウ豆のスープ、スモークサーモンの香草漬け、薄い全粒粉のフラットブレッドと呼ばれるパンには貴重なバターを塗っていただく。

 そしてメインには鴨のジビエがサーブされた。杜松の実で風味を付けた濃厚なソースが食欲をそそる。コケモモのジャムを添えて食べるのだという。

「赤いコケモモの実は森から摘んでくるんだよ。ぼくもセルゲイに付いて取ってきたことあるんだ。春になったら結羽も一緒に行こうね」

「僕の住んでいたところにはコケモモは自生してないので、ぜひ本物の実を見たいです」

 甘酸っぱいコケモモのジャムは濃密なソースと絡み合い、鴨肉の肉汁と合わさって絶妙な味わいを生み出す。

 ユリアンは春になっても結羽が傍にいることを望んでくれるのだ。

 その気持ちはたまらなく嬉しかった。自分が誰かに必要とされるなんて、思わなかったから。

 レオニートはふたりの会話を微笑ましく眺めながら、ワイングラスを傾けていた。

 最後にジャムとクリームがたっぷりと塗られた、ブルートカーケという名のデザートが提供される。ラズベリーとチョコレートでデコレーションされたそのケーキはとても甘かったけれど、薫り高い紅茶と共に結羽はすべて美味しくいただいた。

 食後に皆で談話室に移動すると、レオニートは召使いに珈琲を頼んだ。

「セルゲイのカーケシリーズはとにかく甘いからな。我が城の料理長が気合いを入れるほど、珈琲は苦くなるという法則ができあがっている」

 結羽は思わず笑ってしまった。隣のソファに座っているユリアンも可笑しそうに腹を抱えている。

 そこへ噂の人物である料理長のセルゲイが顔を見せた。珈琲カップを乗せた盆を携えた召使いと同様に、セルゲイが手にした盆にはクリスタルの器がいくつか乗せられている。

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