第59話

 いったい、どうやって。

「鈴明よ。見せてみろ」

「かしこまりました。陛下」

 宦官が小さな卓を持ってくる。そこにはふたつの茶碗が並べられていた。

 鈴明は急須を手にすると、ひとつの茶碗に茶を注いだ。それは薄い黄色である。

「これは茶ではありません。実験のため、水に色をつけています」

 そして彼女は、すっと親指を動かして、急須の持ち方を変える。

 もうひとつの茶碗に色つきの水が注がれた。こちらは水色だ。

 雪花は驚きの声をあげた。

「えっ……色が違う⁉ 同じ急須から注いだのに、どうして」

「これが、毒入りの茶とそうでない茶を分ける仕掛けだ。内部が二層に作られている急須なのだ。持ち手についている複数の穴を塞ぐことで、どちらの茶を入れるか操作できる」

 そうすると、片方の茶碗には毒入りが、もうひとつは毒の入っていない茶を注げるというわけである。

 雪花に毒を盛るため、栄貴妃が特殊な急須を用意させたのだ。

 水を注ぎ終えた鈴明は、次に金具を手にする。彼女は勢いよく、急須に振り下ろした。

 パキン、という音とともに、急須が真っ二つに割れた。

 紫蓮の言った通り、急須の中は空間がふたつに分かれていた。

 そういえば、栄貴妃の侍女はかなり緊張していた。失敗したら、栄貴妃に毒入りの茶が注がれてしまうので、侍女は震えていたのかもしれない。

「栄貴妃の侍女が急須を始末するところを、鈴明が防いで証拠品を隠し持っていたのだ。それを彼女が、俺に伝えた」

「そうだったのですね。――ありがとうございます、鈴明」

 雪花の礼に、鈴明は微笑んだ。

 彼女の活躍により、栄貴妃が雪花に毒を盛った証拠が確保できたのだ。

 栄貴妃は、ぶるぶると震えている。

 そこへ、廷尉に引き立てられた侍女が入室してきた。侍女は、がっくりと項垂れている。

「そなたの侍女は自白したぞ。栄貴妃の命令で、蘭妃に毒入りの茶を提供したとな。薬局で附子を処方させたことも帳簿から明らかになっている。もはや言い逃れはできぬぞ、栄貴妃」

「な、な、なにかの間違いでございます! これは、こなたを陥れるための罠ですわ!」

「その罠を仕掛けたのは、俺というわけか?」

「いいえ。すべてその女が悪いのです! 陛下、なにとぞその白髪の女に死罪をお与えください!」

 荒唐無稽な言い分を吐いた栄貴妃は、口に泡を吹きながら雪花を指差す。

 雪花を憎むしかない栄貴妃は、ただ哀れだった。そこには後宮の主として君臨した華やかさは、もうどこにもなかった。

 紫蓮は冷徹に言い放つ。

「そなたの所業は明らかだ。雪花に毒を盛って殺害を企てたばかりか、洛明宮への放火を宦官に指示した。その罪は甚大である。栄氏から貴妃の封号を剥奪し、後宮追放処分とする」

 その沙汰を聞いた栄貴妃は、キィ――……と奇声を発し、髪を振り乱した。

 拝礼が解かれていないにもかかわらず、四つん這いになって玉座へにじり寄る。それを複数の宦官が押さえつけた。

「嘘です、陛下! こなたこそが寵妃、こなたこそ! キイイィィッ」

 彼女には自分のした罪を認めることも、謝罪することもできないのだ。

 宦官に引きずられていく姿を、雪花は哀れみを込めて見つめた。

「さよなら、栄貴妃……」

 罪人が退出させられると、宮廷はシン……と静まり返る。

 紫蓮は雪花の手を取って、椅子から立ち上がらせた。

「罪は裁かれた。雪花、そなたも心を痛めたであろう。今日は清華宮へ戻り、休むがよい」

「はい……」

 こうして後宮の主だった栄貴妃は自らの浅慮によって転落した。

 雪花は痛ましい思いを抱えて、紫蓮に連れられて清華宮へ戻った。


 翌日、紫蓮の誘いで、ともに食事をすることになった。

 雪花は鈴明と蘇周文に付き添われ、永安宮を訪ねる。

「お招きいただきまして、ありがとうございます」

「来たか、雪花」

 紫蓮が出迎えてくれて、手を取られ室内に導かれる。

 絢爛な部屋には、大きな卓と椅子が用意されていた。

 張青磁が待っていて、にこやかに挨拶してくれる。

「ご回復になられて、まことに喜ばしいことでございます」

「ありがとうございます、張青磁」

 紫蓮の手により、雪花は意匠の凝らした椅子に座る。

 卓を挟んで向かいに紫蓮は腰かけた。

 張青磁が厨房へ足を運んでいくのを目にして、紫蓮は口を開く。

「雪花の新たな封号のことだが――」

「はい」

「貴妃はどうだろうか。現在は貴妃の位が空いている」

「え……⁉」

 雪花は驚きに目を見開いた。

 貴妃となれば、後宮の主も担うことになる。

 雪花の犯した罪を考えれば、子を成したのちに後宮追放処分が相応なのに、一時的にせよ貴妃だなんてとても請け負えない。

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