第58話
紫蓮の来訪を告げる蘇周文の声が玄関から聞こえた。
寝台から下りた雪花と鈴明は拝礼する。
「陛下にご挨拶いたします」
「礼などよい。そなたは身重だ。さあ、寝台に座るのだ」
焦った様子で紫蓮は雪花の手を取り、立たせる。腰を抱かれて慎重に、雪花は紫蓮とともに、そばの寝台に腰を落ち着けた。
「今日は顔色がよいな。具合はどうだ?」
「とても気分がよいです。体調は回復しました」
清華宮へ戻ってからというもの、毎日のように紫蓮は雪花の容態を確認するため、こうして会いに来てくれる。
微笑んだ紫蓮は、さらりと雪花の髪に触れた。
蘭妃の死の証として切り取られた白髪は、肩までの長さにそろえられている。
「そなたはもはや蘭妃ではないが、新しい封号については検討中だ」
「新しい封号……ですか? 私は妃嬪として後宮にいても、よいのでしょうか」
紫蓮はなにも言わず、頷いた。
それは子を産むまでということだろうか。
雪花の行いを鑑みると、死罪でないのならば、後宮退去処分が妥当と思えるのだが。
紫蓮の双眸が険しいものに変わる。
「そなたの処遇の前に、事件の子細を明らかにする必要がある」
「はい。なんでもお話しします」
「では、答えよ。夜伽の前に、栄貴妃に毒茶を盛られたな?」
雪花は思い出した。
清華宮を訪れた栄貴妃がお茶を持参して、雪花の茶碗にのみ、毒が混入されていたことを。
あれは、唇に滲む毒をより濃いものにするためだったのではないだろうか。
ということは、内通者はもしかして栄貴妃――?
「は、はい。附子でした。ですが栄貴妃も同じ急須から注がれた茶を飲んだのです。あるいは、飲んだふりかもしれませんが……」
雪花は正直に言った。
もはや罪は明らかになったので、両親や内通者に荷担するつもりはなかった。
だが、なぜ栄貴妃に毒を盛られたことが、紫蓮の耳に入ったのだろう。
「なるほど。その罪を明らかにせねばなるまい。宮廷へ参ろう」
「私も、お供させてください」
立ち上がった紫蓮に手を取られ、雪花は彼とともに清華宮を出た。
朝議が行われる宮廷の広間には、上座に紫檀の玉座が鎮座している。
大広間には朱塗りの柱がどこまでも連なり、巨大な龍の香炉が対に置かれていた。
紫蓮の指示で、玉座の隣に椅子が置かれ、雪花はそこに腰を落ち着けた。皇帝と同じ目線なのはなんだか落ち着かないが、紫蓮が言うのだから従うほかない。
玉座に紫蓮が腰を下ろすと、最果てにある扉が開かれた。
宦官が「栄貴妃でございます」と告げる。
敷居を跨いだ栄貴妃は喜色を浮かべていたが、紫蓮の隣に雪花が座っているのを見ると、顔の半分をひきつらせた。
冷宮送りにした雪花が、まるで皇后であるかのように紫蓮の隣に陣取っているのが気に食わないのだろう。
それでも彼女はつんとした表情を取り繕いつつ、階段の下までやって来て、恭しく拝礼した。玉座は階段のはるか上である。
「陛下にご挨拶いたします。ご回復をお祝い申し上げますわ。ですが、その女は陛下を害そうとした大罪人です。なぜ冷宮にいないのでしょう?」
「俺の指示だ。雪花には俺を殺そうという意思がなかった。それに俺の子を宿している。ゆえに蘭妃の位を剥奪するに留めた。冷宮送りにしたのは、栄貴妃の勝手な判断である。そうであろう?」
ぎりっと、栄貴妃は歯噛みした。
懐妊している雪花を、彼女は憎々しげに睨みつける。
「……こなたは陛下のためを思って冷宮送りの判断を下したのです。陛下はその女狐に操られているのですわ」
「俺のためを思って、か。すべて自分のためだろう」
「なにをおっしゃるのです⁉ すべての元凶はその女ですわ。陛下に毒を盛ったのですよ! それを死罪にしてください!」
「そうか。毒を盛った者は大罪人だな」
「その通りですわ。ですから……」
必死に食い下がる栄貴妃が言い終えないうちに、紫蓮は手を上げて合図を出した。
すると、盆を持った鈴明が現れる。
盆には、ひとつの急須がのせられていた。
仙人が象られ、ごつごつとした形状の急須である。どこかで見たことのある品だ。
急須を目にした栄貴妃は青ざめた。
「それは……」
「そうだ。夜伽の前に、そなたは清華宮を訪れて雪花に茶をふるまった。毒入りの茶をな。そのときに使われた急須だ」
はっとした雪花は思い出した。
確かに、あのときに使用した急須だ。
だが同じ急須から注いだはずなのに、栄貴妃には体調の変化は見られなかった。雪花のみが毒入りの茶を飲んだのだ。
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