第56話

 小さくつぶやいた、そのとき。

 ガチャリと扉が解錠される音が響いた。

 食事の時間にしては早い気がする。

 とはいえ吐き気がするので、ほとんど食事を取れそうにないけれど。

 ふと顔を上げると、冷宮に入ってきたのは紫蓮だった。

 彼の姿を目にした雪花は瞠目し、痩せた体を無理やり動かして寝台から下りる。

「陛下にご挨拶いたします……」

「痩せたな。雪花」

 跪く雪花を、紫蓮は冷たい双眸で見据えた。

 そのような冷酷な眼差しを紫蓮から向けられたことはない。

 けれど彼にそんな目をさせたのは、雪花なのだった。

「……私は大罪を犯しました。このまま痩せ細って死ぬのでございましょう。その前に、陛下から死を賜るのなら、誇りに思います」

「そなたの大罪とは、なんだ」

「……それは……」

 問いかけられて窮したが、紫蓮はすべてわかった上で聞いているのだと思った。

 それだけ彼の眼差しは揺るぎなく、声には皇帝の威厳が込められていたから。

 雪花は、ついに明かした。

「皇帝暗殺の大罪です。私は夜伽で陛下を殺そうとしました」

「だが、俺は死ななかった。そうだな?」

「……はい」

「なぜ、接吻を拒んだのだ?」

 雪花は答えられなかった。

 本当は紫蓮を死なせたくなかったから、とはいかにも言い逃れのような気がした。

 黙っている雪花に、紫蓮は淡々と暴露する。

「そなたは毒に耐性のある特異体質で、猛毒でも死なず、服毒した毒を体内で蓄積できるそうだな。真紅の唇に触れた者を死に至らしめる毒の娘だったということか」

 もう、すべて悟られていた。

 雪花はせめてもと思い、紫蓮に謝罪するため冷たい床に額ずく。

「申し訳ございませんでした……私は幼い頃から両親の思惑により監禁され、服毒を続けていたのです。そして、皇帝暗殺の密命を受けて後宮入りしました。でもまさか、紫蓮が皇帝陛下だったとは知らず、決意が揺らぎました。その結果、両親の命令に背いたのに、紫蓮を傷つけるという最悪の事態を招いてしまったのです」

 死を迎える前に、すべてを打ち明けられた。

 もちろん罪が軽減されるとは思っていないが、ずっと抱えていた黒い澱を吐き出したことにより、雪花の胸は幾分軽くなったのだった。

 つと、床に這わせた雪花の手に、温かい大きなてのひらが触れる。

「よく、打ち明けてくれたな。つらかっただろう」

「紫蓮……」

 伏せていた顔を上げると、紫蓮の目には憐憫が浮かんでいた。

 これまでに雪花が見てきた、優しい紫蓮の眼差しだった。

 だが彼の声音は険しいものになる。

「そなたは後宮入りしてからも、服毒を続けていたはずだ。必ず内通者がいるはず。それは誰なのだ?」

「あ……それは……」

 一瞬見えた紫蓮の優しさは、内通者を聞き出すためなのだ。

 ほんの少し喜びが湧いた自分に嫌気が差すが、その質問には明確な答えを持ち合わせていなかった。

「知らないのです。内通者がいることは父から聞いていたのですが、それが誰なのかは教えてもらえませんでした。内通者のほうからも、そうと名乗ることはありませんでした」

 雪花はありのままを答えた。

 毎度の食事に毒を混入できるのは鈴明しかいないのではと、初めは思っていたものの、確証はない。それに朝礼での毒入り茶の事件もある。内通者が誰だったのか、最後まで雪花にはわからずじまいだった。

 おそらく内通者は今頃、慌てているのではないだろうか。

 夜伽を行ったものの、皇帝暗殺を果たせず、蘭家は兵を蜂起できるのか疑問だ。両親も内通者も、もはや密命を失敗した雪花のことなど眼中になく、どうやって計画を果たすか思案しているのだと思われた。

 もっとも冷宮にいる雪花には、世間がどうなっているかなど知るよしもない。

「なるほど。わかった。そなたは捨て駒だったようだな」

 冷徹な紫蓮の言葉が、ぐさりと胸に刺さる。

 その通りなのだった。

 雪花は両親に捨て駒として利用されただけ。

 もし皇帝暗殺が果たされていたとしても、雪花が生きていられるはずなどなかった。

 紫蓮は懐から短刀を取り出した。

 はっとした雪花は頭を垂れる。

 皇帝の手で、死を賜るのだ。

 体を小刻みに震わせながら、雪花はそのときを待ち受けた。

 鞘から抜きだした白刃が、ぎらりと光る。

 紫蓮は身を伏せている雪花の、首の後ろに手を触れさせた。

 切る首の位置を探っているのだろう。

 こわい。

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