第53話
紫蓮との再会、そして華やかな蘭妃としての暮らしは、夢のごとく儚いものだったのだと思わせた。
不遇こそが、雪花のために用意された運命なのかもしれない。
ここで、死ぬのだろうか。
けれどそれも仕方ないと思えた。
紫蓮を死の淵へ思いつめたのは、雪花に違いないのだから。
彼の病状が気になるが、ここではなんの情報も得られなかった。侍女を付けることは許されず、たったひとりなのだ。食事のときに食盆を携えた宦官が出入りするのみである。
紫蓮……どうか、無事でいてください……
雪花は懸命に祈った。
だが祈るばかりでなにもできない自分に不甲斐なさを覚える。
そのとき、施錠された扉がカチャリと音を立てた。
食事の時間らしい。
「蘭妃様、お食事でございます」
鍵を開けて、蘇周文が入ってきた。食事の係は蘇周文と決まっているわけではなく、毎日別の宦官がやって来る。その中には、雪花を妃嬪扱いせず、無造作に椀を置く者もいた。もはや雪花の凋落は確実なものだったからだ。
落ちぶれた雪花に『蘭妃様』と声をかけてくれるのは、蘇周文くらいのものだろう。
「蘇周文、久しぶりですね」
「たったひと月ほどですのに、お痩せになりましたね……。膳房に融通を利かせて、今日は精のつくものをお持ちしました。どうかしっかり食べてください」
「ありがとうございます……。けれど私のことはよいのです。紫蓮の様子はどうなのでしょう?」
「陛下は相変わらずお眠りになっています。意識が戻ることもあるそうなのですが、寝台から出られていないようです」
「そうですか……」
依然として紫蓮の容態は安定していないらしい。
私にも、なにかできることがあればよいのですが……
ふと思いついた雪花は、着ていた白い服の端を破った。指を噛みちぎり、白布に血文字を書く。
そこには、毒に犯された体の症状を和らげる効能のある薬草の名を書き連ねる。
書き終えると、雪花は蘇周文に白布を手渡す。
「蘭妃様、これは……?」
「ここに書かれた薬草を、薬局で集めていただけませんか。紫蓮のもとへ持っていってほしいのです」
「薬湯にして飲んでいただくのですね。わかりました」
「どうか、お願いします」
蘇周文は白布を懐に入れると、食盆を下げて部屋を出ていった。再び、ガチャリと扉が施錠される音がする。
監禁中の身なのに、雪花が推薦した薬草を紫蓮に飲ませるなど、許されないかもしれない。手を貸した蘇周文も罰せられてしまうかもしれない。
でもどうしても、紫蓮に生きてほしい。
どうか、彼が健康を取り戻せますように……
雪花は深く祈った。
ふう、と息を吐くと、蘇周文の置いていった食事が目に入る。
せっかく用意してもらったのだから、食べておこうと、さじを取り上げた。
だが、粥を一口含んだ途端、胸に嫌なものが込み上げる。
「うっ……」
雪花は嘔吐した。
毒は、入っていなかった。
どうして……⁉
どんな毒を混入されても嘔吐することはなかった。あっても、それは服毒を始めた幼い頃のことだ。嘔吐はそれ以来である。
しかも、この粥は毒入りではない。
これだけではなかった。ここひと月はいっさい毒入りの食事を与えられなかったのだ。
図らずも、皇帝暗殺が達成されたとして、内通者に役目を果たしたと見られたのか、それとも冷宮に送られて内通者の手が及ばなくなったのかは、雪花にはわからない。
これは新種の猛毒なのか。
いったい、自分の体の中でなにが起こっているのか。
雪花はめまいとともに倒れた。
◆
うっすらと目を開けた紫蓮は、寝台から身を起こした。
しばらく具合が優れず、夢うつつの中で過ごしていたが、今は気分がすっきりしている。
薬湯を持って入室してきた蘇周文が、起きている紫蓮を目にして喜びの顔を見せた。
「陛下、もう起き上がって大丈夫でございますか?」
「ああ。先日から飲んでいた、その薬湯が効いたようだ」
蘇周文が特別な薬師に頼んで調合してもらったという薬湯は、回復を促した。
今まで昏睡状態などではなかったので、意思の疎通と薬湯を飲む程度はできていたからだ。何者か知れぬ薬師の薬の服用を反対する声もあったが、紫蓮は許可した。それだけ蘇周文を信頼しているからである。だからこそ蘭妃付きの宦官にしたのだ。
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