第52話

 廷尉は訝しげに、栄貴妃を見やる。

「それはどういうことですかな? 栄貴妃」

「蘭妃は毒のお茶を飲んでも、なんともなかったわ。きっと体を毒に慣らしているのよ。そうして陛下に毒を盛ったのでしょう!」

 栄貴妃の指摘はざっくりとしたものだったが、的外れではなかった。なにより彼女は雪花に毒を盛り、それが効かないということを知っている。

 けれど、雪花には紫蓮を毒殺しようという意図などなかった。

「ち、違います! 私は陛下を守ろうと……いえ、毒殺しようなんて思っていません。毒に慣れているのは私の体質によるもので……今回のこととは、その……」

 雪花は懸命に説明しようとしたが、その声は震えていた。

 毒殺の意図はないものの、紫蓮が倒れたのは雪花の体液が移ったせいなのは明白で、つまりは雪花が犯人であることに変わりない。しかし、皇帝暗殺の密命をこの場で明らかにするのは憚られる。

 しどろもどろになる雪花を、栄貴妃は勝ち誇った顔で見た。

「ほら、ごらんなさい。こなたの言う通りでしょう。こなたの権限で、蘭妃を冷宮送りにします」

 雪花は息を呑んだ。

 冷宮は罪を犯した妃嬪が送られるところだ。それは牢獄も同じである。誰にも会えず、侍女も付けられず、ひとりで囚人に等しい生活を送らなければならない。それは恩赦が出るか、死ぬまでだ。

 栄貴妃が部下の宦官に、顎で指図した。

 彼らは雪花の身を羽交い締めにする。

 そのとき、良嬪が間に入った。

「ちょっと待ちなさいよ! 雪花が陛下を毒殺だなんて、そんなこと企てるわけないでしょ。自分の地位を奪われそうだからって、栄貴妃は雪花を冷宮送りにするつもりなんじゃないの⁉」

「なんなの、この女は――。こなたを誰と思っているの? この無礼な妃嬪も冷宮に送るのよ!」

 目を吊り上げた栄貴妃は良嬪を敵のごとく睨みつける。

 いけない。このままでは良嬪まで、冷宮送りにされてしまう。

 すべては雪花が原因なのであり、なにも知らない彼女まで巻き込むわけにはいかなかった。

 宦官に引きずられながら、雪花は必死に嘆願した。

「犯人は私です、陛下に毒を盛ったことを認めます! 良嬪にはなにも関係ありません。ですから彼女には罪はないのです」

「雪花……そんな。どうして認めるのよ⁉」

 良嬪は驚いているが、犯人が雪花であることに間違いはないのだった。その罰を受けることは、至極当然なのだ。雪花をかばおうとしてくれた良嬪には申し訳なかった。

 せめて、良嬪には穏やかに暮らしてほしい。冷宮送りになるのは、雪花だけで充分だ。

 項垂れる雪花に、汚いものを見るような目を向けた栄貴妃は鼻で嗤った。

「フン。さっさと認めればいいのよ。なんて図々しい女なんでしょう。冷宮に送っただけでは足りないわ。すぐに死罪にしなくてはならないわね」

 宦官に引き立てられていく雪花を、妃嬪たちは各々の感情を込めて見ていた。ある者は憎々しげに、またある者は気の毒そうに。

 冷宮へ連れられていく雪花を良嬪が追いかけていった。

 苦々しい顔をしていた張青磁は、栄貴妃に苦言を呈する。

「栄貴妃様。冷宮に閉じ込めておくのはともかく、いかにあなたさまといえど、妃嬪を死罪にする権限はありません。決定は陛下がなさることをお忘れなく」

「うるさいわね。陛下があの女を許すわけがないでしょう。どうせすぐに死を賜るに違いないわ」

 事態を黙って見ていた廷尉は、栄貴妃に問いかけた。

「栄貴妃が先ほど言った言葉で気になることがあります。『蘭妃は毒のお茶を飲んでも、なんともなかった』とは、いつのことですかな? 朝礼で毒のお茶を飲んだのは別の妃嬪ですが」

 その言葉に張青磁は、廷尉と栄貴妃の顔を交互に見やる。

 夜伽の前に、雪花に毒のお茶を飲ませたことを知る者は、この場には栄貴妃しかいない。

 栄貴妃は扇子を広げて、悠々と言い放った。

「あら、そんなこと、こなたが言ったかしら? なんにせよ、蘭妃は自分の罪を認めているのだから、こなたには関係ないでしょう」

「なるほど。しかしわたしは調査するのが仕事ですのでね。後宮の妃嬪、侍女、そして宦官のすべてから詳しい事情を聞かねばなりません」

 鼻で嗤った栄貴妃は余裕の笑みを見せる。

 雪花は自ら罪を認めた。謹慎が解かれた後宮の主に、恐れるものはなかった。


 冷宮へ閉じ込められてから、ひと月が経過した。

 雪花は、ぽつんと室内に置かれた椅子に腰かけていた。

 華麗な装飾が施されている清華宮とはまったく異なり、冷宮の壁は灰色に塗り固められ、なんの飾りもない。壁の上部に小さな窓があり、そこから細い陽の光が射し込んでいた。灰色の床に、白々としたわずかな明かりを落としている。

 家具は小さな寝台と椅子のみ。入り口は固く閉ざされているので、出入りはできなかった。

 まるで、昔に戻ったように雪花は感じた。

 十年間、離れの小屋に閉じ込められて、両親から毒を与え続けられていたあの頃に。

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