第49話
わずかながら揺らいでいたものが、栄貴妃に毒を盛られたことにより、確固たる決意として定まった。
やはり雪花は、毒から逃れられない運命なのだ。
もしかしたら、毒を飲ませた栄貴妃が内通者なのかもしれないが、そのことはもはやどうでもよいと思えた。
紫蓮は今宵、清華宮へやって来る。
今夜、決着をつけましょう――
どこかを、そして誰かを裏切らなければ、この密命に決着をつけることなどできないから。
栄貴妃の言う通り、雪花は裏切り者なのである。
もとから逃れられるわけがなかったのだ。
それが、再び茶の附子を飲んだことにより、再認識させられた。
外から帰ってきた鈴明が、書を読んでいる雪花をうかがう。
「栄貴妃はひとまず宮へ戻らせました。陛下には、夜伽の中止を申し入れますか?」
「いいえ、夜伽はします」
「……わかりました。では雪花様、お怪我の手当てをしましょう」
「怪我というほどではありません。私の言い方が悪かったので、栄貴妃を怒らせたのです」
「ですが……」
鈴明はなにやら雪花を心配することをあれこれと述べていたが、雪花の耳を素通りした。
雪花はもはや、夜伽のことしか考えていなかった。
それ以外はすべて、些末に思えた。
夜の帳が降り、天空を細い月が彩る。
冷たい星の輝きが、身に染みるようだった。
清華宮の窓から天を見上げた雪花は、ふうと淡い吐息をつく。
思い返すと、雪花の人生は今夜のためにあったようなものだった。幼い頃、紫蓮と手を取り合って逃げたときも、このような空の色だったと懐かしく思い出す。
だけど今は、ふたりで逃げ出すわけにはいかない。
雪花は自分の置かれた立場を、よく理解していた。
そして逃げることが許されないのも、充分にわかっている。
雪花の選ぶ道は、二択しかない。
紫蓮を裏切るか、親を裏切るか。
だけど、もうひとつの道がある――
雪花はそれを選ぶことを望んだ。
猩猩緋の着物の裾を翻すと、はらりと白髪が舞った。
髪は結っていない。腰まである長い髪は、窓から射し込む月明かりにより、銀色に光り輝いた。
今宵の唇は、毒々しい真紅に染め上げられている。
昼間に附子を服毒した雪花の唇は、死の色に満ちていた。
つと、紗布のかけられた寝台へ目をやる。
覚悟は決まっていた。
「雪花――」
ふわりと、後ろから逞しい腕に抱き込まれる。
どきん、と雪花の鼓動が跳ね上がった。
それは好きな男に抱かれるからなのか、それとも、死への誘いが待っているゆえか。
ついに紫蓮は、清華宮へやって来た。
夜伽のとき皇帝が訪れたことを、宦官は告げないのだ。侍女も別室に控えている。
ここにいるのは、雪花と紫蓮のふたりきり。
逃さないとばかりに、しっかり抱き込んだ腕に、雪花は囚われる。
「陛下……」
「いつものように名を呼んでくれ。紫蓮、と」
「紫蓮、お願いがあります」
雪花を抱きしめた腕を緩めた紫蓮は、頬に手を滑らせた。
再会したばかりの頃は、彼が顔に触れるだけで緊張していたものだと思い出す。
だけど今はもう、紫蓮が触れてくれるのを心待ちにしている自分がいた。
自分は毒の娘であることを、雪花はどこか忘れかけていたのだ。紫蓮といるときだけは、忘れていたかった。自分の気持ちだけでどうにかなるものではないと、わかっていながら。
その虚しい日々も、もう終わる。
頤を掬い上げ、顔を近づけてくる紫蓮は、微笑みながら問いかけた。
「なんだ?」
「接吻を……しないでください」
ぴたりと、唇を合わせようとしていた紫蓮の動きが止まった。
後宮の妃嬪が、皇帝に対して接吻をするなと願うのは、背信行為も同然である。しかもふたりは思いを通わせたのだ。紫蓮はそう思っているはずだった。
紫蓮の顔は、みるみるうちに険しいものに変わった。
「……それは、どういう意味だ。俺を拒むというのか?」
「その通りです」
はっきり言った雪花に、紫蓮は瞠目した。
わけがわからないといったふうに、彼はきつく眉根を寄せる。
「俺たちは思いを通わせたのではなかったのか? 俺は、雪花を愛している。そなた以外を寵愛するつもりはない。その思いは通じていなかったのか?」
紫蓮の愛情を一身に受けていることを改めて知らされ、雪花は身を震わせた。
けれど、泣いてはいけない。かろうじて、感情を表すことはこらえた。
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