第45話

 彼女の反応に慌てた雪花は腰を浮かせる。

「いいえ、そういうわけではないけれど、いろいろと考えてしまうのです。宦官が茶を淹れたことはわかっているのですけど、鈴明がまさか手伝ったりしていないかと想像してしまって」

「もちろん、手伝っていませんよ。朝礼は宦官の管轄ですから。あそこに侍女が出てきたら、監督の張青磁に怒られてしまいます」

「そうでしょうね……」

 宦官ばかりが立ち回っているところに、侍女の鈴明が顔を出したら目立ってしまう。

 これではっきりしたが、少なくとも龍井茶に毒を入れたのは鈴明ではない。

 とすると、やはり追放された宦官なのか。

 もしかすると、これまでの食事も……?

 彼の仕業だったのだろうか。答応に食事を運ぶのは下級宦官の役目なので、用意しているときに毒を入れるのはあり得ないことではない。そうだとすると、これまで鈴明が食事に毒を入れているのだと思っていた雪花の予想は違っていたことになる。

 鈴明は、内通者ではないのでしょうか……

 彼女を疑って、申しわけなかった。

 内通者はもう、追放されたのだ。

 ほっとした雪花は、頬を緩める。

 そのとき、蘇周文が前室を通って戸口に現れた。拱手した彼は、袖から白い手紙のようなものを取り出す。

「蘭妃様にお手紙が届いております」

 紫蓮からだろうか。

 雪花の顔が花のごとく綻ぶ。

 だが、彼は雪花にとって残酷な事実を述べた。

「蘭家の御父上からでございます」

 ひゅっと、雪花は息を吸い込んだ。

 まるで薄氷を呑み込んだごとく、心が冷たくなり、言葉が出てこない。

 微笑んでいる蘇周文は鈴明に手紙を手渡した。

「まあ、蘭家から! 昇格のお祝いの言葉でしょうか」

「そうでしょうとも。まれにみる四等級の昇進ですからね。御父上も鼻が高いでしょう」

 ふたりはこの手紙が、昇進の祝いだと信じて疑っていないようだ。

 だが父の人柄を知る雪花には、そのような内容だとは思えない。

 鈴明から、震える手で雪花は手紙を受け取る。

 彼女と蘇周文は、さりげなく部屋を退出した。

 主が手紙を読むのに、それを横から覗くような真似をしないのが侍従としての嗜みだからである。

 ごくりと息を呑んだ雪花は、おそるおそる手紙の封を切る。

 開いてみると、そこには達筆な文字でこう書かれていた。

『おまえの使命を果たせ』

 それだけだった。

 父の示唆する使命とはもちろん、皇帝暗殺のことである。

 だが、ほかの者がこの手紙を読んだら『皇帝に仕える妃嬪としての使命』と受け取れるだろう。

 つまり父は、もし手紙が露呈されても困らないよう、雪花だけにわかる言葉を使ったのだ。

 幼い頃に見たことがあるが、頑健さを表す文字は間違いなく父のものである。

 雪花は悟った。

 父の野望は潰えたわけではない。内通者は、変わらず後宮にいるのだ。

 ではいったい、誰が……

 手を震わせた雪花は、手紙を取り落とす。はらりと床に落ちた手紙は塵ほども軽いのに、その内容はひどく重かった。

 

 毒茶の騒ぎが解決したので、妃嬪の謹慎は解かれた。

 だが雪花は熱を出してしまい、しばらく寝込んだ。

 紫蓮から熱冷ましの薬草をもらったので、それを煎じて飲み、体を休めていた。

 いろいろあって疲れたこともあるのだが、心労が大きいのだろうという自覚があった。

 寝台から起き上がり、久しぶりに窓の外を眺める。

 青い空に、筆で描いたような白練の雲が刷いている。鳥のさえずりが聞こえて、心を和ませた。

 薬湯を持って寝室に現れた鈴明が、起きている雪花を見て驚きの声をあげる。

「雪花様! もう起き上がって大丈夫なのですか?」

「ええ。今日は気分がいいのです」

「陛下からいただいた薬草が効いたのですね」

「そうみたいです。もう熱も下がったみたいですけど、その薬湯もいただきます」

 紫蓮が持ってきてくれた薬草は少々苦みがあるが、とても体の回復が早いのだ。雪花はすっかり薬草の虜になってしまった。

 微笑んだ鈴明は慎重に、ぬるめの薬湯の入った茶碗を手渡す。

 それを少しずつ味わい、喉に流し込んでいると、蘇周文の声が耳に届いた。

「陛下のお越しでございます」

 はっとした雪花は慌てて茶碗を置き、寝台から下りる。跪いて拝礼すると、旗服を翻した紫蓮が寝室に入ってきた。

「陛下にご挨拶いたします」

「ああ、よい。立つのだ。熱があるのに膝をついてはならぬ」

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