第43話
朝礼では下級妃嬪は後方に立っているが、上級妃嬪には椅子が用意される。
ところが雪花は、向かい合わせに縦に並んだ椅子のもっとも前列に、鈴明に連れてこられた。
「えっ……私の席はここですか?」
「はい。上座は後宮の主を代行なさる燈妃の席ですから、雪花様は第二位の座席になります。――そうですよね、蘇周文」
鈴明が蘇周文に確認する。朝礼の用意をするため、宦官が幾人も控えているのだ。
「そのとおりでございます。どうぞ、蘭妃様。おかけになってください」
「……わかりました」
雪花は椅子に腰を下ろした。嬪は妃よりも位が低いので、良嬪は雪花から少し後ろの席にかけている。
そのとき、良嬪の向かいに座っていた恵嬪が、慌てて雪花に拝礼した。
「蘭妃様にご挨拶いたします!」
「えっ……あ、あの、礼はよいです」
「蘭妃様に感謝いたします。……それから、妃への昇格、お慶び申し上げます」
「あ……ありがとうございます」
以前の朝礼や園遊会では侮蔑を投げていた恵嬪だが、雪花が自分よりも高位になったので、態度を改めたらしい。
このように人の態度を変えさせる位階とは、なんとも恐ろしいものだと、雪花は身震いした。あくまでも恵嬪の慇懃な態度は表面上ではあるが。
気まずそうに唇を引き結んで椅子に座った恵嬪を、横目で見た麗嬪が妖艶に微笑んだ。
「ほほ。見下していた妃嬪が己よりも上位の妃になったのですもの。咎められるかと怯えますわね」
ギッと、きつい眼差しを隣に向けた恵嬪だが、なにも言わずにうつむいた。
言い返さない恵嬪に、麗嬪は言葉を継ぐ。
「でも、それが後宮というところ。妃嬪の栄華は夜明けの雫のごとく儚いものですわ。かの栄貴妃のようにね……ほら、新たな後宮の主がいらしてよ」
達観した見解を述べた麗嬪は、優雅な仕草で椅子から下りる。
現れた燈妃に、すべての妃嬪がいっせいに拝礼した。燈妃はこれまで栄貴妃が座っていた上座に腰かける。
「燈妃様にご挨拶いたします」
「頭を上げなさい」
「燈妃様に感謝いたします」
どこか沈痛な面持ちを浮かべた燈妃は、神妙に告げた。
「陛下のお達しにより、栄貴妃はひと月の謹慎処分を受けています。その間、後宮の主の代行をわたしが務めます」
その宣言に場がざわめいた。「やっぱり……」「なにがあったの?」など、妃嬪たちが口々に囁く。燈妃は片手を水平に捧げた。
「おだまりなさい。詮索は無用です。わたしも理由については知らされていません。陛下のご判断に従うのが妃嬪としての務めです」
しん、と室内は水を打ったように静まった。
代行とはいえ、後宮の主の発言は絶対的な権威を持つ。
だが栄貴妃のときとは違い、妃嬪たちの間にはどこか安心感のようなものが漂っていた。自分の感情や利益を優先させる栄貴妃に対し、燈妃は冷静に状況を判断すると、みんなが知っているからだ。それゆえ、先日の雪花のように、園遊会の奏者に指名されるような意地悪を受けないという安堵が生まれているのである。
もっとも、それが転じて雪花は妃に昇格した、と妃嬪たちは思っているのだが。
ふと雪花は、周囲から視線を感じた。まるでなにかを訴えるような、もの言いたげな目である。
良嬪は必死にこちらへ目配せを送っている。
なんでしょう……?
睫毛を瞬いた雪花は彼女たちの視線の意味がわからず、心の中で首をかしげた。
燈妃は静かに問いかける。
「蘭妃はどうかしら? わたしの意見に賛同してくれますか?」
「あ……はい。もちろんです」
雪花は、はっとした。
みんなは雪花が、燈妃に同意するのを待っていたのだ。
雪花の地位は第二席である。つまり、雪花を差し置いてほかの妃嬪が意見を述べることは許されない。
不慣れさが露呈してしまい、恥ずかしくなった雪花はうつむいた。
そんな雪花を優しい目で見た燈妃は、穏やかに述べる。
「蘭妃は四等級の昇進を果たして、妃に封じられました。それも彼女が素晴らしい功績を上げたがゆえです。みなも蘭妃を見習い、陛下に忠節を尽くすように」
「燈妃様のご命令に従います」
妃嬪たちがいっせいに拝礼した。雪花も今度は遅れることなく、素早く拝礼できた。
「蘭妃は拝礼せずともよいのですよ。みなは、あなたを見本にするのですから」
「は、はい」
注意されてしまったが、燈妃は微笑んでいる。ほかの妃嬪も柔らかい笑みを浮かべて雪花を見守ってくれた。
和やかな雰囲気の中で、燈妃が宦官に合図を送る。
「お茶にしましょう。この龍井茶はわたしの出身である広州で採れた稀少なものなの。ぜひ、みなに味わってもらいたいわ」
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