第38話

 けれどそれは、雪花の本音だった。

 密命を負った妃嬪などではなく、ただの鳥として、紫蓮のそばにいられたなら、どんなによいだろう。

 眉を寄せる紫蓮に、くすりと微笑む。

「たとえですよ。生まれ変わったら、という話ですね」

「それはわかっているがな。俺はそなたの願いはなんでも聞き届けてやりたい。どうしたらその願いが叶うか、考えていたのだ」

「簡単です。私が死んで生まれ変わったら、鳥になって紫蓮のそばに行きます」

「そなただけを失うわけにはいかぬ。ふたりで心中でもするか? そうしたら、鳥のつがいになれるだろう」

 戯言なのだが、雪花は瞠目する。

 たとえ冗談であっても、皇帝が死を望むようなことを言っていいはずがない。

「紫蓮ったら……冗談が過ぎます。私は紫蓮に、死……もしものことがあっては困りますから」

 死んでほしくない、とは言えなかった。

 皇帝暗殺の密命を負っているというのに、どの口がそんなことを言えるというのか。

 紫蓮は高らかに笑った。

 彼の笑い声が部屋に響くのを聞いた雪花は、からかわれたのだと知る。

 そして心から、ほっとしたのだった。

 そのとき、戸口に蘇周文が姿を見せた。

「陛下、そろそろ会議のお時間でございます」

「わかっている。少し待て」

 紫蓮は軽く手を上げ、蘇周文を待たせた。

 忙しい身なのに、時間を縫って雪花に会いに来てくれたのだ。皇帝である紫蓮が答応の棟を訪れること自体が初めてなのである。

 雪花が腰を上げようとすると、苦笑した紫蓮に手を引かれた。

「待たぬか。そなたは俺を帰らせようというのか?」

「そうです。お時間を割いていただいて、ありがとうございました。どうぞお仕事に戻ってください」

 面食らった紫蓮は額に手を当てる。

「そなたは本当に鳥にならないと、俺のそばにいてくれないようだな……」

 雪花だって、もっと紫蓮と一緒にいたいのだが、彼には皇帝としての務めがある。雪花が無理を言って引き留めるなど、できるわけがない。

 諦めたのか、紫蓮は腰を上げた。

「わかった。今日は帰ろう。だが、まだ話したいことがある。明日も来てもよいか?」

「もちろんです。お待ちしています」

 そう返答すると、紫蓮は満足げに頷いた。

 彼はずっとつないでいた雪花の手を、するりと離す。

 だがその大きな手は、すぐに雪花の髪を撫でた。

 その際に、紫蓮の指が耳たぶを掠める。

 ずきん、と雪花の胸が熱く脈打った。

「ではな」

「はい。では、また明日……」

 別れはいつでも名残惜しい。

 背を向けた紫蓮が、蘇周文を伴って石畳の道を歩き、宮廷へ向かっていく。

 彼の後ろ姿が見えなくなっても、雪花は戸口に佇んでいた。紫蓮と交わした言葉のひとつひとつを反芻しながら。


 翌日、紫蓮は昼過ぎにまた雪花の部屋を訪問した。

 もしかすると、彼は訪れないのでは、と気を揉んでいた雪花は杞憂だったと知る。

「陛下にご挨拶いたします」

「礼はよい。いちいち跪いては疲れてしまう。さあ、立つのだ」

 そう言って、紫蓮は昨日と同じように手を取り、雪花を立たせた。

 彼に大切にされているのだとわかり、雪花の心がほわりと温まる。

「でも、礼をするのは妃嬪としての礼儀です」

「雪花はただの妃嬪ではない。俺の大切な人だ。それを今から証明しよう」

「今から……ですか?」

 どういうことだろう。

 首をかしげる雪花に、紫蓮は濃い笑みを見せた。

「歩きながら話そう。昨日の続きを」

「はい。お供します」

 紫蓮に手を取られ、雪花は部屋の戸口を跨ぐ。答応たちの住まう棟を横に見つつ、石畳の道を歩いた。ちらりと視界の端に、良答応が小さく手を振っている姿が見えた。彼女は紫蓮との仲を応援してくれるのだ。

 少し離れて、後ろから鈴明と蘇周文が付き従ってくる。

 区画を分けている小さな門を通り、道を折れて東へ向かった。

 紫蓮はゆるりとした口調で話し出す。

「昨日はそなたとの話が楽しくて、言いそびれたことがあったのだが……そなたは俺との約束を忘れただろうな。園遊会の前日に言ったことだ」

「ちゃんと覚えていますよ。園遊会が終わってから、私になにか頼みたいことがあったのですよね?」

 雪花はそれを、別の場所での演奏だと予想していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る