第37話

「あ……あれは、私が勝手に宦官なのだと思い違いをしたのです。紫蓮が偽ったわけではありませんから、気にしないでください」

「だが、驚いただろう?」

「そうですね……まさか、皇帝陛下だったなんて思いませんでした。……ということは、紫蓮は私と初めて会ったときには皇子様だったのですね」

「そうだ。先帝の九男に生まれた俺は親王として、地方に住みながら勉学に励んでいた。蘭家を訪問したのも、前王朝の末裔たちの動向を探れという父の命令に従って行ったことだった。あのときはそういった事情もあり、雪花には俺の正体を言いずらかったのだ。許してほしい」

 神妙な顔をした彼は頭を下げた。

 紫蓮に咎はないのに、謝罪なんてしてほしくない。

 雪花は慌てて空いているほうの手で、紫蓮の腕に触れた。

「謝らないで。私のほうも、あなたの姓を訊ねませんでしたから。私にとって紫蓮は何者であってもよかったのです。どれだけ高位の家系であってもそうでなくても、あなたが紫蓮であることに変わりはないですから」

「そうか……優しいのだな。そなたは年月が経っても、やはり優しい雪花のままだ」

 その言葉に、居たたまれなくなった雪花は唇を引き結んでうつむいた。

 紫蓮が『優しい』と言ってくれるのはとても嬉しい。

 だが彼から好意を向けられると、自分がこれから行おうとしている恐ろしい計画を思い出してしまい、震えが止まらなくなる。

 私は、あなたを殺そうとしているのに……

 いけない。そのことを考えては、態度に滲んでしまいかねない。そうしたら紫蓮に不審に思われてしまう。

 それに、皇帝暗殺の密命のことを考えたくもなかった。

 雪花は無理やり笑みをのせて、話題を変えた。

「そういえば、園遊会の前に、もみじの贈り物をいただいたのです。あれは紫蓮なのでしょう?」

「ああ。少しでも励みになればと思ってな。よく送り主が俺だとわかったな」

「わかりますよ。紫蓮の字が手紙に書いてありましたから」

 彼の文字は、子どもの頃に勉強を教えてもらったことがあるので知っていた。

 雪花はそばの化粧箱についている引き出しから、手紙を取り出す。

 それを開くと、雪花への宛名とともに、一枚のもみじが入っている。園遊会が終わっても大切に保管しているのだ。

 もみじを見た紫蓮は驚きに目を見開いた。

「まだ持っていたのか」

「紫蓮が選んでくれたのだと思うと、捨てるなんてできません。ずっと大切にとっておいても、いいですか?」

 ぎこちなかった雪花の表情は、自然な笑顔に戻っていた。

 うかがうと、紫蓮は穏やかな双眸で頷いた。

「もちろんだ。慎ましいそなたには、もっと大きな贈り物をしたい。それも受け取ってくれるだろうか?」

「もっと大きな……大きなもみじですか?」

 とても大きなもみじがあるのだろうか。もみじはどれも同じくらいの大きさだと思うのだけれど。

 雪花が目をぱちぱちさせていると、紫蓮は朗らかな笑い声をあげた。

「ははっ。いや、これは、なんとかわいらしいのだ」

 勘違いに気づいた雪花は顔を赤らめる。

 紫蓮が指したのは、別の贈り物のことだ。

「あっ……いえ、あの、私はほかの贈り物はいりません。紫蓮にいただいた、このもみじと手紙だけで充分です」

 ささやかな贈り物で充分と言う雪花を、紫蓮は真摯な双眸で、じっと見つめた。

 表情を引きしめた彼は、重々しく述べる。

「俺は、そなたに封号を贈りたい。いずれ皇后にする」

「……えっ?」

 一瞬、なにを言われたのか理解できなかった。

 雪花が皇后になれるわけがない。彼の隣に並び立てるような身の上ではないのだ。密命のことがなくても、蘭家の格では答応が精一杯だ。

 それなのに、紫蓮はどうしてそんなことを言うのだろう。

 動揺した雪花が視線をさまよわせると、紫蓮は薄い笑みを浮かべた。

「いずれ、という話だ。園遊会では演奏を成功させたのだから、そなたを昇進させるのは当然だ。雪花はなにになりたい。貴妃か?」

 悪戯めいた目で問いかける紫蓮に、雪花は胸を撫で下ろす。

 皇后にしたいだとか、貴妃だとか、昇進の話は紫蓮の冗談なのだと理解した。

 きっと、後宮のことでなにか問題が起こり、彼は疲れているのではないかと雪花は思った。それでなくとも、母君と過ごした思い出のある宮が火事に遭ったばかりなのだ。

 雪花は紫蓮の手を煩わせないよう、けれど彼の思いを損なわないよう、返事をした。

「なりたいものになれるのなら、私は、あなたの鳥になりたいです」

「鳥だと……?」

「はい。いつも紫蓮の肩にとまり、あなたのそばにいて、寄り添っていたいのです」

「ほう……それはまた、難題だな」

 紫蓮は難しい顔をして考え込んでしまった。

 あくまでもたとえなのだが、本気にされてしまったようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る