第28話

「おだまりなさい! 講師のせいにして言い訳するなんて、なんという下劣な答応でしょう。おまえには妃嬪たる資格がありません!」

「そんな……」

 本当のことを言っているのに、雪花が嘘をついていると思われてしまった。

 周囲の妃嬪たちの間から、くすくすと嘲笑が耳に届く。

「ほらね。こうなると思った」

「琴の講師って、栄貴妃の手下なんでしょ? それって……」

「しっ。悪いのは選曲した蘭答応なのよ。あの娘、懲罰を受けるわ」

 妃嬪たちの囁きから察した。

 栄貴妃は雪花に懲罰を与えるため、わざと悲恋の曲を弾かせるよう、手下の講師に指示したのだ。

 懸命に練習して上達しようとしても、そんなことは無意味だった。

 やはり雪花は栄貴妃を満悦させるための道具に過ぎなかった。

 けれど、決して皇帝と妃嬪の悲恋を望んだわけではない。それだけは訂正したい。

 勇気を出して、雪花は栄貴妃に自分の想いを述べた。

「お待ちください。確かに私はこの曲を好ましいと思い、園遊会で披露したいと望みました。でも決して、陛下と妃嬪の悲恋を願ってのことではなく……」

「うるさい! この娘を百叩きの刑に処しなさい」

 怒った栄貴妃は宦官に雪花の刑罰を命じた。

 庭園に驚きの声があがる。

 百叩きの刑は罪人のごとく縄で体を石に括りつけられ、棒で百回打ちつけられる刑罰である。当たり所が悪いと死んでしまうこともある。

 驚いた燈妃は腰を上げた。

「お待ちください、栄貴妃さま。選曲を間違えたことで受ける刑罰としては重すぎます。陛下は慈悲深い御方。陛下のご判断を待ったほうがよろしいのではありませんか?」

「燈妃、おだまりなさい。後宮の主はこなたよ。そなたはただの妃でしょう。こなたに意見しようというの?」

「……いえ、そのようなつもりではございません」

 燈妃は引き下がった。後宮の主の命令には誰も逆らえない。それだけの権限を、栄貴妃は有している。

 宦官たちに羽交い締めにされた雪花は、椅子から引きずり下ろされてしまう。

「お願いです、栄貴妃さま、私の話を聞いてください……!」

 雪花は必死に懇願した。

 けれど栄貴妃は汚いものから目を背けるかのように、広げた扇で視界を遮っている。

 宦官に引きずられ、雪花の靴が緋の毛氈を乱れさせた。それは血の海のごとく波打っていた。

 これから行われる刑罰を想像して気が遠くなりかけたとき――

「手を離せ」

 怒りを滲ませた低い声音が庭園を貫く。

 はっとした宦官は、慌てて雪花から手を離すと、その場に跪いて低頭した。

 呆然とした雪花が顔を上げる。

 するとそこには、凜然と佇む紫蓮がいた。

「紫蓮……どうして……」

「遅くなってすまない」

 紫蓮は雪花の手を取り、ゆっくりと立ち上がらせる。

 彼が助けてくれたのだ。

 けれど、宦官である紫蓮がなぜかばってくれたのだろうか。いくら高位の宦官とはいえ、栄貴妃には逆らえないと思うのだけれど。

 紫蓮を不利な立場に追い込みたくはない。

 そう思った雪花は栄貴妃を見やる。

 すると、栄貴妃は驚愕の表情を浮かべていた。

「へ、陛下……」

 彼女は凭れていた背を慌てて起こすと、椅子から下りて拝礼した。

 それを合図に、妃嬪たちはいっせいに栄貴妃に倣って跪く。

「陛下にご挨拶いたします」

 え、と雪花は首をかしげる。

 みんなは紫蓮に向かって頭を垂れている。

 まさか、陛下というのは――

「頭を上げよ」

「陛下に感謝いたします」

 妃嬪たちは立ち上がった。どの階級の妃嬪たちでも、一様にしゃんと背を伸ばして、こちらに向かって直立している。

 紫蓮は気まずげに視線を横に投げている栄貴妃に向き直った。

「栄貴妃よ。琴の選曲が好みではなかったからといって、刑罰を与えるのは貴妃として正しい判断か?」

「……いいえ、陛下。こなたの判断が行き過ぎていました」

「では刑罰を撤回せよ」

「はい。刑を撤回いたします。ですが『青月夜』は悲恋の曲ですから、園遊会の曲としてはふさわしくないと思ってのことでした」

「ほう。曲は講師からあらかじめ勧められたものだと、雪花は言っていたな。琴の講師はそなたの遠縁だ。なにか思い当たることがあるのではないか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る