第24話
紫蓮に認めてもらえたことで、雪花は俄然やる気が湧いてきた。
再び弦に手をかけると、紫蓮はそばの椅子に腰を下ろす。
「俺も、そなたの上達のために協力しよう。弾いてみるがよい」
「……えっ。紫蓮に聞かせるのですか?」
「もちろんだ。俺は名手とはいかないが、七弦琴と琵琶は嗜んでいる。雪花に手ほどきをしてやろう」
そう言った彼は腕を組み、目を閉じてしまった。
拙いからと断るわけにもいかず、紫蓮に今の腕前を披露するしかないようだ。
「わかりました。それでは、お願いします」
「うむ」
雪花は懸命に琴の音を紡いだ。
室内に優雅な弦の音色が響き渡る。
ひとつひとつの音を丁寧に、間違えないように……
だが難しいしるしのところで、つまづいてしまった。
「あっ……」
「かまわぬ。続けよ」
慌てかけたが、紫蓮が冷静に先を促してくれたので、雪花は落ち着きを取り戻す。
やがて、ようやく曲を弾き終えた。
けれど何度もつまづいてしまったし、音も数箇所を間違えた。
とても人に聞かせられるような腕前ではないと自覚しているけれど、さすがに紫蓮をがっかりさせたのではないかと、雪花は俯いた。
腕組みを解いた紫蓮は目を開ける。
「按音を間違えて覚えている箇所があるな。ここだが――」
席を立った彼は雪花の後ろに回った。抱き込むようにして、雪花の手の甲に大きなてのひらを添える。
「こう押さえるのだ。楽譜では、この音だ」
「は、はい」
男性とこんなにも密着するのは初めてなので、雪花は頬を朱に染める。
なぜか鼓動がどきどきと鳴っている。
相手は友人の紫蓮であり、宦官なのに、どうしてこんなに胸が高鳴ってしまうのだろう。
「それから、ここのしるしの押さえ方が甘い。どうしても薬指は動かしづらいが、慣れればほかの指と同じように弾ける」
「わ、わかりました。気をつけます」
紫蓮は真面目に教えてくれているのだから、集中しなければならない。
こっそり息を整えた雪花は雑念を払い、琴を見据えた。
いよいよ園遊会を明日に控えた。
その後も講師は訪れず、紫蓮が毎日のように宮を訪れて、練習に付き合いつつ指導してくれた。
おかげでつまづくことなく、流れるように綺麗な演奏にまとまってきた。
日が経つにつれて、雪花はみるみるうちに上達した。紫蓮がそばにいてくれたので頑張ることができたからだ。きっとひとりでは、どうしたらよいのかわからず、途方に暮れていたのではないだろうか。
最後の音を紡いだ雪花は、そっと弦から手を離す。
聞き入っていた紫蓮は満足げな息を吐くと、笑みを刷いた。
「よく頑張ったな。素晴らしい上達ぶりだ」
「あ……ありがとうございます!」
紫蓮に褒めてもらえた。
それだけで雪花の表情は、華が咲き誇るような明るい笑顔になる。
雪花の笑顔を、紫蓮は眩しそうに目を細めて見た。
「本番では大勢の妃嬪がいるが、会話に夢中で演奏を聴いていない者も多い。気負わずに弾いてよい」
「ええ。陛下の不興を買わないよう、気をつけます」
「皇帝の不興を……? 懸命な演者を罰することなどない。なぜそんなことを言うのだ?」
「噂で聞いたのです。七夕のときに舞を披露した貴人が、転んで叱責されたと」
紫蓮は思い出すように視線を横に投げた。
そうしてから彼はゆっくりと頷く。
「確かに、そのようなことがあったな。だが誤解のないよう言っておくと、叱責したのは皇帝ではない。栄貴妃が貴人を咎めて叱責したのだ」
「そうなのですね。栄貴妃が貴人を指名したそうですから、責任を感じたのでしょう」
「ふむ……そういうことにはなったが……」
紫蓮にはなにやら思うところがあるらしい。
叱責された貴人は気の毒だが、本番で緊張して転んでしまったのかもしれない。
だが、叱責したのは皇帝ではないと聞いて、雪花は幾分安心した。
会ったことのない皇帝は、もしかすると厳しい人なのではないかと思っていたから。
「園遊会には陛下もいらっしゃるんですよね。紫蓮は陛下には何度も会っているのですか?」
「ああ……そうだな。そういうことになる」
紫蓮は自分のことは話したがらない。それは彼が、宦官という身の上について後ろめたい気持ちがあるからではないかと雪花は思った。
彼がどのような地位であろうとも、紫蓮であることに変わりはない。
琴を指導してくれたお礼を言って、そして……園遊会が終わったら、もう彼に会える機会もなくなってしまう。
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