第23話

「それでは、練習用の琴を借りる手配をいたします。それから講師も頼みましょう」

 ふたりに応援してもらい、雪花の顔に笑みが宿る。

「ありがとうございます、ふたりとも」

 自分の望んだことができる――

 その環境に、雪花は心がふわりと綻ぶのを感じた。

 これまでは、やりたいことなどなにもできなかった。ただ与えられる不遇を受け入れるしかなかったのだ。

 でもこれからは、自分がやりたいことを認めてもらえる。

 精一杯、頑張らなくては。

 それまで澱んでいた雪花の目は希望を見出して輝き、頬は薔薇色に染まった。


 園遊会へ向けて、琴の練習が始まった。

 答応の居室は狭いので、琴を置ける場所がない。

 そのため雪花は妃嬪が楽器を練習するための宮へ赴き、そこで講師に習った。

 ところが講師は基礎を教えただけで、「あとは練習に励むように」と言い残し、いなくなってしまった。

 上達するまでとは言わないが、ある程度は指導してくれるものだと思っていたので、雪花は困り果ててしまう。雪花はまるで初心者なので、音の出し方を習っただけでは心許なかった。

「とにかく、練習しなくてはなりませんね……」

 慣れるしかない。

 ひたすらに雪花は練習した。

 毎日、空き時間のすべてを琴の練習に費やした。

 時折、宮の近くを通りかかった女官や妃嬪が、くすくすと笑う声が聞こえてくる。

 そのたびに手が止まりかけたが、かまわずに練習を続けた。

 やがて音階を丁寧に紡ぐことができるようになった頃、講師が残していった楽譜を手に取る。

「この曲を弾くのですね」

 園遊会のために指定された曲だ。楽譜を見る限り、ゆったりとした曲のようである。これなら弾きこなせるかもしれない。

 楽譜を見ながら、七弦をつま弾いて音を確認していく。

 それをすべて終えると、また始めから曲を弾いてみた。

 だが途中で、音が奇妙に跳ねている箇所に遭遇する。

「あら……? 間違えているのでしょうか」

 左指で弦を押さえつつ、右の指で弾いてみる。

 やはり、音が違うようだ。

 押さえる弦を間違えているのかもしれない。

「ええと……ここは三徽二分だから……」

「ここだ。ひとつ前だぞ」

「あ、はい」

 耳に届いた声に従い、手前の弦を弾く。

 すると、正しい音が鳴った。

 ほっとして顔を上げるが、そこにいたのは講師ではなかったことに雪花は仰天する。

「あっ! 紫蓮……どうしてここに⁉」

「拙い琴の音色が聞こえてきたので、気になってな。もしかしてとは思ったが、やはり雪花だった」

 今日も上等な旗服を着込んだ紫蓮は、爽やかな笑みを見せた。

 もう話せないだろうと思っていたけれど、彼は琴の音に導かれたようだ。

 人に聞かせられるような腕前ではないことに恥ずかしくなり、雪花は弦から手を離した。

「すみません、拙いですよね……」

「馬鹿にするつもりで言ったのではない。誰でも始めは拙いものだ」

「でも、私はすぐにでもこの曲を上手に弾かなくてはならないのです。園遊会で披露しなければなりませんから」

「ほう。園遊会の弾き手に指名されたのか。だが雪花は初心者だろう」

「琴にさわったこともありませんでした……けれど、せっかく栄貴妃に指名していただいたので、妃嬪として恥ずかしくないよう頑張ります」

 紫蓮は楽譜に目を落とした。

 そして彼は眉をひそめる。

「この曲を園遊会で披露するのか?」

「はい。指定された曲なのですが……どうかしましたか?」

「これは『青月夜』だ。いつまで待っても来ない恋人に悲嘆した娘が、月夜に川へ身投げするという、悲恋の曲なのだ」

「そうだったのですね。通りで、悲しい曲調だと思いました」

 楽譜に題名は書かれていないので、そういった逸話のある曲だとは知らなかった。

 紫蓮は小首をかしげている。

「園遊会で演奏する曲は華やかなものが好まれる。わざわざ青月夜を指定するとは、どういうつもりだ」

「私はこの曲を披露したいです。悲しい曲かもしれませんが、ゆったりしているので和む感じもありますし、なにより弾きやすいですから」

「ふむ。雪花が気に入ったのなら、よいだろう」

 今から別の曲に変更しても、時間が足りないだろう。それにやはり好きな曲でなければ、上達は遠いと思える。

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