第21話

 皇帝が崩御すると妃嬪たちは尼寺へ引っ越し、そこで生涯を終えるのが掟だ。後宮に残れるのは次の皇帝の生母である皇太后のみとなる。

 だが皇太后が後宮の朝礼に顔を出すことはない。

 耀嗣帝には皇后がいないので、現在の後宮の主は、もっとも上位の栄貴妃だ。

 栄貴妃は肘掛けに腕をもたせかけ、楽な姿勢をとった。ほかの上級妃嬪たちは背筋を伸ばして両手を膝上でそろえ、まっすぐに前を向いている。上位の栄貴妃が許さない限り、姿勢を崩すことも発言することもできないのだ。

 もちろん雪花たち下級妃嬪は、一歩たりとも動くことはできない。

 嘆息した栄貴妃は、物憂げに金色の爪飾りを撫でた。

「昨夜も陛下の夜伽はなかったわね。一度もないのでは子が生まれない。瑞王朝の存続にかかわる由々しき事態だと、何度も上奏文を送ったのに返事がないわ。燈妃、陛下からなにか聞いていないの?」

「陛下はわたくしたちに会ってもくださいません。わたくしも陛下の執務室を訪ねたのですが、多忙を理由に側近から追い返されてしまいました」

 栄貴妃のそばの椅子に座っている妃嬪が返答した。上座に次ぐ席なので、おそらく燈妃が第二位にあたる妃嬪なのだろう。

 燈妃の言葉に、栄貴妃は再び溜息を漏らす。

「なにか理由があるはず。燈妃はなんとかして陛下が夜伽を拒む理由を探るのよ」

「承知いたしました」

「こなたの父は正二品の大監なのよ。父も世継ぎはまだかと期待しているわ。陛下はこなたを放っておくことなどできないはず」

「その通りです、栄貴妃さま」

 穏やかに相づちを打つ燈妃に、栄貴妃は鋭い眼差しを浴びせた。

「いいこと? 初の夜伽はこなたが務めるのよ。寵妃には、こなたこそが相応しい。燈妃以下、すべての妃嬪が初めて龍床を暖めることは、こなたが許さない」

 その命令に、燈妃は旗服の袖をバッと翻して椅子を下りると、床に跪いた。

 それを合図として、すべての妃嬪が拝礼する。雪花も慌てて跪いた。

「栄貴妃さまのご命令に従います」

 またいっせいに声をそろえる。

 これでは下級妃嬪だからといって、ぼんやりしているわけにはいかない。栄貴妃の話を聞いて、合図があればすぐに拝礼しなければならないのだ。

 拝礼が遅れた雪花に、栄貴妃は化粧で塗り固めた顔をつと向ける。

「そこ。遅いわよ。名乗りなさい」

 見咎められてしまい、雪花は冷や汗をかく。

 栄貴妃は雪花に向けて、まっすぐに指を差していた。

 隣の良答応に、「早く」と肘で合図される。これ以上の粗相をしたら、罰せられるかもしれない。

「ら、蘭答応と申します」

 素早く立ち上がった雪花は名乗った。

 ところが栄貴妃は墨で長く描いた眉を跳ね上げる。

「誰が礼を解いていいと言ったの!」

「あっ……も、申し訳ありません」

 許しを得るまで、立ち上がってはいけないのだ。雪花はよろめきながら腰を落とし、拝礼をする。

 周囲から、くすくすと笑い声が上がった。雪花の頬は羞恥で真っ赤に染まる。

 鬼神のごとく怒りを漲らせている栄貴妃に、燈妃がゆったりとした声をかける。

「どうか、お静まりください。蘭答応は数日前に入宮したばかりの新人です」

「なるほどね。珍しい髪と瞳の色をした答応が入宮したとは聞いたわ。それが、この蘭答応なのね」

「蘭王朝の末裔である、蘭家の子女だそうです」

「ふん。三百年前に滅びた王朝の娘なんて、いかほどでもないわ。――嬪以上の者は椅子にかけよ」

「栄貴妃さまに感謝いたします」

 燈妃を始めとした上級妃嬪たちは拝礼を解き、椅子に腰を下ろす。百名ほどの下級妃嬪たちは膝をついたままだ。それは雪花の失態のせいだといわんばかりの咎める眼差しが、下級妃嬪たちから向けられた。

 居たたまれない雪花は下げた頭を、さらに下げる。

「ところで蘭答応は、琴は弾けるの?」

 栄貴妃に名指しで質問されたので、答えなければならない。

 だが雪花は長年の間、なにもない小屋に閉じ込められていたので、琴など弾けるはずもなかった。

「い、いえ、弾けません」

「まあ。琴も弾けないのに後宮へ来たというの?」

「はい。父の命令ですので……」

「あらそう。それじゃあ、次の園遊会では蘭答応に琴を披露してもらうわ」

 ぱちぱちと瞬きをした雪花は、栄貴妃の言葉の意味を考える。まったく弾けないのに、園遊会という大勢の人前で披露するなどできるはずがない。

 燈妃は慎重に栄貴妃へ訊ねた。

「栄貴妃さま。園遊会で琴を披露するのは毎回、卓越した奏者のみです。蘭答応は弾けないと言っておりますが……」

「本当に弾けないのかしらね。試してみましょう」

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