第19話

 ほっとした雪花は、正直に胸のうちを打ち明ける。

「ありがとう。紫蓮の心遣いはとても嬉しいです……でも、私を推薦してくれなくてけっこうです」

「なぜだ」

「……私には、そんな資格がありませんから」

 そうとしか言えなかった。

 もし紫蓮に推薦してもらって夜伽に赴き、そこで皇帝に接吻することがあったなら、毒殺の原因を作ったとして、彼も処分を受けてしまうだろう。

 紫蓮としては十年前に雪花を救えなかった贖罪のつもりなのかもしれないが、彼の不利益になることは避けたかった。

 そうするとやはり、こうして会うこともよくないだろう。

 するりと、雪花は苦渋の思いで紫蓮の手をほどいた。

「会えてよかったです……どうか、お元気で」

「雪花、待ってくれ!」

 紫蓮の制止する声を背中で聞き、雪花は逃げるようにその場をあとにした。

 頬を伝い落ちる涙が、悲哀の色に染まっていった。


 翌日、妃嬪の朝礼に参加するため、雪花は早朝に目覚めた。

 枕を濡らしたため、瞼は腫れあがっている。

 白目まで真っ赤に染めた雪花を見て、鈴明は困ったように眉を下げた。

「あらあら、雪花様。実家が恋しくて泣いたのですか?」

「……その通りです」

 そうとしか答えられない。余計な詮索をされて紫蓮に迷惑をかけないためにも、彼と再会したことはいっさい鈴明に話していない。

 濡れた手布で目を冷やしていると、宦官が食盆を携えてきた。

 後宮へ来てから、毎食の食事には、必ずなんらかの毒が混入されている。それは粥だったり、ほかの料理だったりする。しかもほかの答応から被害の報告はまったくない。いつも雪花の食事だけに毒が混入されているのだ。

 雪花が目を離している隙に鈴明が毒を入れているのだろうが……

 さじを手にしたまま、ちらりと彼女の様子をうかがう。

 鈴明は楽しげに頬を綻ばせ、朝礼で着る予定の雪花の服を取りだしていた。丁寧に羽箒で塵を払っている。彼女からは微塵も悪意または後ろめたさが感じられなかった。

 恐ろしいと思うとともに、不可思議さが、じわりと胸のうちに滲む。

 食事に毒を入れて、それをすぐそばで食べられ、あのように平気でいられるものだろうか。実家の下女は、恐ろしいものに接するような怯えた声で、毒入りの粥を提供していた。自分のしていることも、致死量の毒を食べて生きている雪花の存在も恐ろしいのだ。それがふつうの感覚ではないかと思う。

 両親は、雪花を利用して蘭王朝を復活させるという大義に目がくらんでいるので、なんとも思わないのだろう。鈴明も、その目的のためならなんでもやるというのが本音なのだろうか。

 聞きたいけれど、聞けない。

 雪花は黙々とさじを口に運んだ。

「いよいよ初の朝礼ですね、雪花様。侍女は別室に控えていなければなりませんが、朝礼で雪花様が凜とご挨拶されるのを楽しみにしていますから」

「凜と挨拶なんて、できないかも……でも皆様に失礼がないよう頑張ります」

「大丈夫ですって。雪花様の美しい銀髪と真紅の瞳に、お妃様方はみんな見惚れてしまいますよ」

「それは鈴明だけの感性じゃないかしら……」

 大抵の人からは、気味が悪いと罵倒される。いじめられたらどうしようと心配になるけれど、雪花の心はさほど沈んではいなかった。

 泣き腫らしたことで、幾分は気分がすっきりしていたからだ。

 紫蓮とはもう昔の友人として話すことができないだろうけれど、後宮にいる限りはどこかで姿が見られるかもしれない。ひっそりと彼が息災であるところを見ていられたら、それだけでよかった。

 結ばれたいなんて……願ってはいけない。

 密かな望みを、雪花は胸の奥に押し込める。

 食事を終えると、ささやかな梅の刺繍が入った薄い桃色の旗服に着替える。いつものように髪は両把頭に結い上げた。飾りとして、髪に造花を一輪挿す。

「お支度が整いましたわ。完璧です」

 片目をつむった鈴明に銅鏡を差し出される。

 服が薄い桃色なので、真紅の瞳と真っ赤な唇が、より目立っている気がする。だが緑の服にしても、ちぐはぐになってしまうだろう。

 黄色の服は皇帝と皇后しか着用することを許されず、白は喪服の色だ。下級宦官は青の服で、襟と袖のみが赤い布で織られている。黒は不吉なので、女性は着ない。

 そうすると下級妃嬪の服の色は、薄い桃色や水色、それに緑などが主流になる。

 雪花にとって服の色など、どうでもよかった。

 どのような色の服を着たとしても、髪と目の色は変わらないからだ。

 銅鏡から顔を上げると、ほかの答応たちが続々と朝礼の行われる宮へ向かっている姿が見えた。彼女たちは一様に底の高い靴で、雪花と同じように旗服をまとい、髪を両把頭に結い上げている。背後には侍女が付き従っている。

 良答応が顔を出して、雪花に声をかけた。

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