第14話

 雪花の胸は、とくりとくりと甘く鼓動を刻んだ。

 どうしてこんな気持ちになるのだろう。

 紫蓮が好きなのは南天だ。それなのに、まるで雪花のことが好きだから、瞳と同じ色の南天を好きになったと受け取ってしまった。

 彼が出会ったばかりの雪花を好きになるわけないのに。

 それに、雪花は毒の娘なのだ。

 両親にも愛されないのに、誰にも愛されるわけがない。

 その呪縛は深く雪花の心に根付いていた。

 でも、紫蓮にはなにも咎はない。

 今だけは、南天が好きだと言って、無邪気に笑う紫蓮を見ていたかった。

 雪花は南天を見てから、視線をそっと紫蓮に向ける。彼は相変わらず、雪花から目を離さない。

「私も……南天が、好き……です」

 あなたと同じものを好きになりたい。

 そんな理由は不実だろうか。

 幼い雪花には、それが精一杯の想いの伝え方だった。

 にこりと笑った紫蓮は、空いていた雪花のもう片方の手も取る。

 向き合ったふたりは両手を取り合った。

「俺はしばらくの間、この地方で暮らすんだ。また会いに来てもいいかな?」

「はい。もちろんです」

「じゃあ、雪花は俺の大切な友人だ」

「は、はい……」

 大切な友人――

 そんなふうに大事に想われたのは初めてで、雪花の胸は微量の戸惑いと、そして喜びがあふれた。


 友人になったふたりは、毎日のように会った。

 雪花の部屋を紫蓮が訪ね、ふたりで庭を散策したり、勉強をしたりする。ときには近所の露店を訪れて饅頭を買い、頬張ることもあった。

 露店の饅頭には当然ながら毒が入っていない。毒のない食べ物はこんなに美味しいのだと、雪花は感動した。

 無味無臭の毒もあるが、雪花には判別できたのだ。それは生来の体質によるものかもしれない。

 紫蓮と一緒にいるのは楽しくて、心が浮き立つ。彼といるときは毒や家族への憂鬱を忘れていられた。紫蓮が部屋を訪ねてくるのを、雪花は心待ちにするようになった。

 だが、ふたりが頻繁に会っているのを知った父はいい顔をしなかった。

 高級役人の子息である紫蓮に、表立って怒鳴りつけることはしないものの、代わりに雪花に対して小言を言うようになった。小言は「なにをやっている」などと具体性のない内容なのだが、どうやら雪花に服毒させていることが外部に漏れるのを父は恐れているらしい。

 雪花は紫蓮をかばい、「友人として仲良くしている」と、ありのままを話した。

 やがて父は召使いに言いつけて、庭の隅にある小屋を片付けさせた。

 そこには農機具などが入っていたのだが、すべてを撤去すると、窓に鉄格子を取りつけ、扉には細工を施している。父の命令で作業する召使いの様子を見て、雪花は眉をひそめた。

「どうしてあんなことをするのでしょう……」

 まるで誰かを閉じ込める座敷牢のようだ。

 ぞっと背筋を震わせる雪花のもとに、父がやって来る。

「雪花。悪いことをすると、小屋に入れるぞ」

 唐突に吐かれた具体的な処遇に、雪花は息を呑む。

 あの座敷牢は雪花を閉じ込めるためのものなのだ。

「わ、悪いことなんてしません、お父様」

「紫蓮様と仲良くしているだろう。毒のことを話したのではないか?」

「話していません! お父様のおっしゃるとおり、誰にも言ってません」

 険しい目で雪花を睨んでいた父は、視線を横に投げて思案していた。

「紫蓮様とは仲良くしているようだな。あの方はおまえに好意を持っている」

「は、はい。でもお父様の言いつけは守っています。紫蓮はなにも気がついていません」

 彼をかばいたくて、必死に言いつけを守っていることを伝えた。

 だが父は心ここにあらずといった様子で、ぶつぶつと独りごちている。

「ここで気に入られれば、のちにやりやすくなる……だが九男だからな……しかし太子は今ひとつ信頼が……」

 なにを言っているのだろう。父はなにかを計画しているようだが、詳しいことはわからない。

 独り言をつぶやきながら、父は雪花の部屋を出ていった。

 父は頭の中で物事を考えるのに忙しく、雪花には興味がないようだ。彼が雪花を見るときは、自分の考えに沿っているかどうかを確認するときだけである。

 毒のことと紫蓮と、なにか関係があるのだろうか。

 それについてはまるでわからないが、確かなことがひとつある。

 父の機嫌を損ねたら、鉄格子のついた小屋に閉じ込められてしまうのだ。

 そうしたら、紫蓮と会えなくなる……

 紫蓮に会えないなんて、耐えられない。

 だが父は紫蓮を疎んでいるのとも少々違う気がした。それに、毒のことを話したら小屋に入れるとも、父は明言しなかった。

『悪いこと』とは、なんなのか。具体的ではないので、どうすればよいのかわからない。

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