第12話

 空を見上げると、夕焼けに染め上げられた橙色の雲が棚引いている。彼は風がさらっていってしまったのだろうか。

 不思議な人……

 鈴明に促された雪花は部屋へ戻る。

 そういえば、子どもの頃から紫蓮は謎めいた人物だった。

 雪花は彼に会った十年前を思い出す。


   ◆


 九歳の蘭雪花は、すでに髪が白髪だった。

 もっと小さなときは艶めいた黒髪だったはずなのだが、継母に毒を盛られてからというもの、毒入りの食事しか与えられなくなり、やがて髪から色が抜け落ちた。

 主屋の自室で、銅鏡を覗き込み、自分の姿を眺める。

 そこには白髪で赤い瞳をした娘がいた。

 これが自分の姿だということを、雪花は悲しい思いで受けとめる。

 町の学校に通っているが、「化物が来た」と同級生からいじめられるので、学校は楽しくなかった。家では継母に「化物、気味が悪い」と詰られ、叩かれる。父はかばってはくれず、そんな家の様子を静観していた。

 母が亡くなり、父が再婚して継母が家にやって来てからというもの、雪花には嫌なことばかりだった。

 このような姿になったのも、毒入りの食事を与えられていることが原因だとうっすらわかってはいるのだが、どうすればよいのか雪花にはわからなかった。

 以前、なぜ毒を食べなければならないのか、雪花は父に相談したことがある。

 すると「おまえのためなのだ」と父は諭し、険しい顔をした。それから、服毒していることは誰にも話してはならないとも、きつく念を押された。

 毒入りの食事は、継母のいじめだと思っていたが、そうではない。

 父が雪花のためを思ってしていることなのだ。

 だがそれが、どのように雪花のためになるのかは見当もつかない。

 雪花には相談する人も、味方になってくれる人もいない。どこにも居場所はなかった。

 ――毒入りの食事をするのは嫌だった。

 けれど食べないと折檻されるので、仕方なく粗末な粥を喉に流し込んでいた。それに、ほかに食事は与えられない。毒入りの粥しか食べるものがないのだ。

 一生両親の支配下に置かれ、毒を喰らい続けるのかと思うと、絶望が胸を占めた。

 この環境から抜け出したい。

 そう思っても、雪花にはどうすることもできなかった。

「お母様……」

 母が生き返ってくれないだろうか。どうして雪花を置いて、死んでしまったのか。井戸に身投げをしたら、母のもとへ行けるかもしれない……

 そんなことを思い、涙を浮かべていたとき。

 ふいに男の子の声が耳に届いた。

「母上が恋しいのか?」

 ひょいと窓から顔を出した男の子は雪花より年上で、知らない子だった。

 突然部屋を覗き込んでくる男の子に、驚いた雪花は瞠目する。

「あなたは誰?」

「俺は、紫蓮だ。きみは蘭家の娘だろう?」

「はい。蘭雪花です」

「名前は知ってる。珍しい髪と目の色だな」

 窓から身を引いた紫蓮という名の男子は、堂々と扉から部屋に入ってきた。

 下女でさえ、雪花の外見を恐れて近づこうとしないのに、紫蓮は覗き込むように身をかがめる。

「あ、あの……見ないでください」

 雪花は小さな両手で頭を覆い隠した。そうしないと、学校の男子は石を投げつけてくるので、怪我をしてしまうから。

 だが紫蓮は手に石を持っていなかった。彼は穏やかな眼差しをして、雪花に微笑みを向けている。

「すまない。天女のようだから、つい見てしまうんだ」

「えっ……天女ですか? 私が?」

「ああ、そうだ。雪花の銀髪と赤い目は天女のように美しい」

 そう言った紫蓮は、長い白髪の一房に触れて、手を滑らせた。

 いつも化物と罵倒されるが、天女だなんて誰にも言われたことはない。

 紫蓮の感性こそ珍しいのではないかと、雪花は首をかしげた。

 不思議な人……でも、悪い人ではないです……

 ほっこりと雪花の心が温まる。もっと彼のことを知りたい。

 そう思ったとき、足音荒く廊下を歩く雑音が聞こえた。

 不作法に部屋に入ってきた継母は、室内に紫蓮がいるのを見て、甲高い声をあげる。

「まあ、紫蓮様! 勝手に屋敷内を歩き回られては困りますわ!」

 咎める声に、雪花は首を竦めた。

 継母のすべてを否定するかのような言葉と、彼女の金切り声が苦手だった。

 だが紫蓮は、キッと双眸を鋭くして継母に対峙する。

「俺に指図するのか? 蘭夫人」

 ぐっと言葉に詰まった継母は、顔を歪める。彼女はそれ以上なにも言わず、部屋を出ていった。

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