第7話

 隣室からは良答応の「これだけじゃ、お腹いっぱいにならないわ!」という声が聞こえた。答応の食事はみな同じ献立のようだ。確かに少量ではあるが、これくらいが雪花にはちょうどいい。

「さあ、雪花様。お召し上がりください」

 しかも鈴明が、卓に料理を並べて箸まで差し出してくれた。

 もう扉から無造作に盆を出されることはないのだ。

 複数の料理を箸を使って食べられる幸せに、雪花は胸がいっぱいになる。

「ありがとう。いただきます」

 感謝して、ぎこちなく箸を操り、蒸し鶏を口に含む。実家では毒入りの粥ばかりだったので、形のあるものを食べるのは久しぶりだ。

 鶏の旨味に感動しつつ箸を置き、代わりにさじを手にする。

 しっかり噛んで呑み込んだつもりだが、慣れないせいか喉に痞えているような感覚がする。粥で流し込もう。

 雪花は、さじに掬った粥を一口含んだ。

「うっ」

 ざわりと舌を擦るような感覚に息を呑む。

 無味無臭だが、雪花にはわかる。

 ――鴆毒だ。

 伝説の毒鳥である鴆の羽毛に含まれているという鴆毒は、常人が服したら、たちまち命を奪ってしまう劇物である。

「どうしました、雪花様?」

「こ、この食事は……どこで作っているのですか……?」

「答応の食事はみんな同じ献立ですから、すべて膳房で作っています。個人の宮を与えられる嬪以上になりますと、専属の膳房がありますので、そこで作ります。……もしかして、お口に合いませんでしたか?」

「い、いいえ。そういうわけではないけれど……」

 はっとした雪花は席を立ち、隣の良答応の部屋に駆け込んだ。

「良答応!」

 血相を変えた雪花の目に飛び込んだのは、ちょうど良答応が粥を呑み込んでいるところだった。

「いけない、吐き出してください!」

「ちょっと、なによ。どうしたのよ?」

 慌てて吐き出させようとしたが、椀の中の粥はすでに半分ほどまで減っている。

「そんな……なんともないのですか⁉」

 雪花に肩を揺さぶられた良答応は苦笑をこぼす。

 彼女の体調に変化はないようだ。雪花は特異体質の上に長年の毒物の服用で体が慣れているが、あれほどの量の鴆毒を服用したら、ふつうの人は平気ではいられないはずなのに。

「変な娘ねえ。足りないからって、あたしのまで食べようって魂胆なんでしょ? だめよ、自分の部屋に戻ってちょうだい」

 姉のように諭した彼女は、笑って椀を掲げた。

 やはり、毒は効いていないようだ。

 良答応の侍女が迷惑そうに眉をひそめているのに気付き、雪花は身を引いた。敷居の外で様子をうかがっていた鈴明が、雪花の腕をそっと引きつつ謝罪する。

「申し訳ございませんでした、良答応。雪花様はまだ後宮に不慣れなのです。何卒、ご容赦ください」

「いいわよ、気にしないわ」

 さらりと言った良答応は食事を続けた。

 妃嬪の食事中に乱入して迷惑をかけてしまった。

 雪花は「ごめんなさい」と謝って、鈴明とともに自分の部屋へ戻る。

 そういえば、どこの部屋からも騒ぎは起こっていない。答応たちは黙々と食事しているようだ。

 ということは――

 雪花はぞっとした。

 私の椀にだけ、鴆毒が混入されている……?

 実家では、雪花の食事には必ず毒が混入されていた。父と継母の命令で、下女が粥に混ぜていたのだ。

 けれど、後宮ではそのようなことは、もうないと思い込んでいた。

 でも違った。

 後宮でも、閉じ込められていたときと変わらず、毒を与え続けられるのだ。

 皇帝を暗殺するために。雪花の毒の唇が、色褪せないように。

 両親の支配から逃れられていないことを知り、雪花は身震いをする。

『内通者は、いつでもおまえを監視している――』

 いったい、誰が内通者なのか。

 雪花の食事のみに毒を盛った者が内通者であり、すなわち父の息のかかった部下である。内通者は雪花の近くにいるはずだ。

 まさか、鈴明が?

 彼女は蘭家の遠縁だ。父が鈴明に命じて雪花を見張らせているということは充分に考えられる。

 椅子に腰を下ろした雪花は、そっと鈴明に目を向ける。

 すると彼女は毒入りの椀を手にし、さじで掬った粥をじっくりと眺めていた。

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