第4話

 両親に礼をした雪花は後ずさりして部屋を出た。

 庭を出ると、小雨が降っていた。

 土に跪いた雪花は、庭の隅に雛の遺体を埋めた。手についた泥が、まるで血に塗れたように錯覚する。頬を伝う涙に、雨粒が混じっていった。


 瑞家の三百年王朝は華麗な歴史に彩られていた。

 重税が続いて悪名高かった蘭王朝を征服すると、辺境の蛮族を制圧し、盤石な体制で国家を樹立した。以来、賢明な皇帝を擁立し続け、臣民の信頼を得ている。

 三百年も王朝が続けば、時には暴君が誕生するものであるが、瑞家にはそれを避けるための慣習があった。

 玉座を継ぐのは長子と限らず、皇帝が認めた皇族の者としているのだ。

 ゆえに太子であっても皇帝になれるとは定まっていない。なかには十数名の子がいるにもかかわらず、甥を皇帝に指名した例もある。

 すべては絶対的権限を持つ皇帝の心積もりひとつ。

 現に先帝が次の皇帝にと決めたのは太子ではなく、地方に追いやられていた九番目の皇子だった。長子である太子やその派閥の者たちは不服を唱えたが、彼らは逆に地方へ左遷させられた。

 そういった経緯で即位したのが、耀嗣帝だ。

 皇帝は即位して二年の間に、周辺諸国との和平を結び、橋や街路を整備して、賄賂を要求する悪徳な官吏を左遷し、権力の地盤を固めた。

 慧眼と名高い耀嗣帝だが、市井では女嫌いと有名だった。皇后は未だにおらず、子もいない。なんでも、一度も妃嬪の宮に通ったことがないだとか。

「陛下はどんな方なのかしら……」

 馬車の物見窓から外をうかがった雪花は、溜息を吐く。

 瑞国の首都である黎安は活気に満ちていた。辺りはたくさんの人が往来し、露店が建ち並んでいる。地方で、しかも閉じ込められていた雪花には見るものすべてが新鮮だ。

 けれど、雪花の心は重く沈んでいる。

 これから雪花は、皇帝の居城である金城へ向かう。

 妃として入宮すれば、もう二度と街へ戻ることはないだろう。

 籠の鳥の運命は、実家の小屋で暮らした日常となんら変わりないかもしれない。

 しかも皇帝暗殺の密命を受けているのだ。

 そんな大それたことが本当に自分にできるのだろうか。

 覚悟ができていない雪花は紅い唇を震わせる。

 やがて馬車は壮麗な門前へ辿り着いた。

 ここが皇帝の住まう金城だ。

 見上げると、黄金色の甍がずらりと最果てまで続いている。

 門前は混雑しており、行列ができていた。入城するために、検閲を受ける必要があるからだ。

 兵士の検閲を済ませた人々や馬車が、巨大な門をくぐり抜けていく。

 やがて、雪花の番になった。

 御者台を下りた御者は携えた書類を兵士に手渡す。

 そこには雪花が皇帝の妃であるという旨が、役人の印とともに書かれているはずだ。

 だが兵士は書類を見て首をかしげた。

「随分と地方だな。あんな田舎から、陛下の妃に推挙される者がいるのか?」

 上官らしきその男は、隣にいた部下に顎をしゃくる。ただちに部下は馬車に声をかけた。

「馬車の中にいる者、下りなさい」

「は、はい」

 指示された雪花は馬車にかけられていた布を捲り、姿を現した。

 はだしで馬車から降りた雪花を見た兵士たちは眉をひそめる。

 雪花は小屋に閉じ込められていたときと、同じ服装である。薄汚れてぼろぼろにすり切れた上衣と褲子という格好なので、まるで奴婢のようだった。皇帝の妃嬪になる女性は有力貴族の娘がほとんどで、お金持ちらしい豪奢な服を着ているものだ。娘の嫁入りのために、豪華な衣服を実家が用意するのは当然のこと。馬車も輿入れにふさわしく飾り立てる。

 雪花は両親からなにも用意してもらえなかった。

 唯一、貸馬車を頼んでもらえただけだ。

 奴婢みたいな格好で、しかも老婆のような白髪に不気味な赤い目の娘。とても後宮に入宮する妃嬪には見えない。

 おどおどと視線をさまよわせる雪花に、兵士は一喝した。

「なんだ、おまえは! おまえのようなみすぼらしい娘が妃のわけないだろう。さっさと消えろ」

「ほ、本当です。私は後宮に入るために参ったのです」

「嘘をつくな! 後宮には陛下が認めた令嬢しか入れないのだ。この奴婢め、鞭打つぞ!」

 兵士は腰に挿している鞭に手をかけた。

 雪花は恐怖に震えてしまい、身動きができない。

 諦めて帰るわけにはいかない。雪花には密命がある。もとより、帰るところなどないのだ。

 額ずいた雪花は必死に頼み込んだ。

「お願いです、信じてください。私は蘭家の娘なのです。皇帝の妃になるようにという父の命を受けて、ここへやってきたのです」

 鞭を振り上げた兵士は、『蘭家』の名を聞いて、ぴたりと手を止めた。

「なんだと? 蘭家とは、まさか……」

 現在では貴族でもない蘭家だが、前王朝の皇族が蘭家だったことは誰でも知っている。かつて皇族だった血筋ならば、現王朝の妃嬪にと望まれるのもありえないことではない。

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