第3話

「はい……」

 どういうことだろう。父は雛に接吻しろと言っているのだ。

 わけもわからず、雪花は命じられるままに、てのひらにのせた雛に唇を寄せる。

 幼い雛は無垢な様子で、ぱちぱちと瞬きをしている。雛はそばにある雪花の紅い唇を、つんと突いた。

 すると、雛はぶるりと身を震わせる。

 そのまましばらく小さな体は硬直していた。

 なにが起こったのだろう。

 雪花が首をかしげていると、ぱたんと雛が横倒しになった。

「えっ⁉」

 小さな羽が痙攣している。やがて雛は動かなくなった。

 みるみるうちに体は硬くなり、羽と足を突っ張らせている。つい今まで瞬いていたつぶらな目は、瞼を固く閉ざしていた。

 ――死んでしまった。

 突然の死に驚いた雪花は小刻みに体を震わせる。

 どうして……まさか、私がくちづけたから……?

 紅い唇に触れた途端、雛の体調が急変したのだ。

 それを見ていた父母は満悦した。

「よし! 予定通りだ。ついに毒の娘が完成したぞ」

「毎日毒を与え続けた甲斐がありましたわね、旦那様。これでわたくしたちは、皇帝と皇后になれますわ」

「ああ、そうとも。我が蘭家こそが正式な皇族なのだからな」

 ふたりはなにを言っているのだろう。

 なぜ雪花が毒の娘であることが、皇帝と皇后になれることにつながるのだろうか。

 雛の遺骸を持った雪花は、父母の狂気に背筋を震わせる。

 嬉々とした父は呆然としている雪花に伝えた。

「よいか、雪花。その死の接吻で、耀嗣帝を殺せ」

「……え?」

 なにを言われたのか、とっさに呑み込めない。唖然とする雪花に父は言葉を継ぐ。

「耀嗣帝とは、瑞国の現在の皇帝だ。先帝が崩御し、即位してから二年になる。おまえを後宮の妃として推挙してやったから、妃として閨に侍り、毒のくちづけをして皇帝を暗殺するのだ」

「そ、そんなことをしたら、大変なことになります」

「それが狙いだ。皇帝暗殺の混乱に乗じて、我々が宮廷を占拠する。そのための軍は集めている。蘭家が天下を取れる日がようやくやってくるのだ」

 父の計画を聞いた雪花は、背中に冷たいものが流れるのを感じた。

「まさか……お父様は、私を暗殺者にするために、食事に毒を入れ続けていたのですか?」

「当たり前だ。毒に強いという雪花の特異体質を知ったとき、この計画が閃いたのだ。素晴らしい作戦だろう」

 誇らしげに語る父を目にした雪花は絶望した。

 雪花の処遇を改めてほしいという願いは、通じた。

 だがその代わり、暗殺者として後宮へ赴き、皇帝を殺害するという密命を与えられてしまった。

 父母が長年にわたり雪花を閉じ込めて毒を与え続けていたのは、蘭家が皇族に返り咲くための道具として利用するためだったのだ。幽閉していれば、外部に計画が漏れることもない。

 雛を殺した死のくちづけ――

 長年の服毒により、唇にも毒が滲んでいるのだろう。禍々しい紅い唇は、毒の色だ。雪花自身はなんともないが、接吻した者は致死量の毒を摂取するのと同じことになる。

 ぎゅっと、冷たくなった雛を両手で包み込む。ごめんなさい……と、何度も心の中で謝罪した。

 涙を浮かべる雪花に、継母は歪んだ顔を向けた。

「感謝しなさい。おまえが大役を仰せつかったのは、わたくしが附子を飲ませてやったことがきっかけだったのだから」

「でかしたぞ。あれがなければ、毒に耐性があるなどと気付かなかっただろうからな。おかげで最高の暗殺者が作れた」

「そうでございましょうとも。わたくしたちが宮廷を牛耳れるのは、もうすぐですわ」

 両親は高らかに笑った。

 ふたりにとって、雪花の命などよりも、皇族になることのほうがずっと大事なのだ。親の願いのために子を利用するのは当然だと思っている。

 歪んでいると思うけれど、雪花は両親に逆らえない。

 なにより、雪花にとってほかに居場所などなかった。

 蘭家の娘として、両親の言う通りにするしかないのだ。

「よいな、雪花。親の言うことを聞いておけば間違いないのだ。皇帝を暗殺したら、おまえは公主だ。そうなればおまえの処遇を改めてやってもよい」

「……はい。わかりました、お父様」

「では、すぐに首都へ向かえ。すべては蘭家復興のためだ。それを忘れるなよ」

 のろのろと立ち上がった雪花に、継母は呪いの言葉をぶつける。

「逃げようなんて思わないことね。親を裏切ることは大罪よ。もし計画を誰かに話したり、暗殺が失敗したら、おまえは生きていられませんからね」

「……はい、お母様」

 まるで雪花に見えない首輪をかけているかのように、継母は縄を引く仕草を見せる。

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