第2話
たまらなくなって逃げだそうとしたが連れ戻され、以来、この小屋に閉じ込められて毒入りの食事を与え続けられるようになった。
幽閉されてから十年が経つ。雪花は十九歳になっていた。
誰にも会えず、年頃の娘らしい楽しみもない。父がなにを考えているのかわからない。
いずれ雪花を死に至らしめるつもりなのだろうか。何度もここから出してほしいと下女を通して嘆願したが、十年もの間、父が雪花のもとを訪ねたことは一度もない。
「このまま死ぬのでしょうか……でも、もう一度だけ、紫蓮に会いたい……」
まだ幽閉されていなかった幼い頃、ここから連れ出してくれた男の子の顔を思い浮かべる。想っても無駄だと、何度も忘れようとした。
でも、忘れられなかった。雪花にとって、
当時は十四歳だった彼は、今はもう二十四歳のはずだ。きっと立派な青年に成長しただろう。
どこでどうしているのだろうか……。もう雪花のことなど忘れて、結婚したのだろうか。そう考えると、胸が引き絞られるように痛んだ。
けれど、今の雪花の姿を見られて、紫蓮に痛ましい表情を向けられるのも居たたまれない。
結ばれることなどないのだ。会わなくてよいのかもしれない。
そのように懊悩していると、小屋の外に人の気配がした。
誰だろう。もう食事は終わったのに。
「もしかして、お父様……?」
父が雪花の様子を見に来てくれたのか。
希望を見出した雪花は扉に向き合う。ガチャリと錠前が外される音に、胸を弾ませた。
だが戸口に現れたのは、下女だった。
「旦那様がお呼びです」
「お父様が、私を……?」
ここから出してくれるのだろうか。きっと父は雪花の窮状に、心を入れ替えてくれたのだ。
雪花の顔に、久しぶりに笑みが浮かんだ。
下女に案内され、小屋を出て小道を通り、主屋へ向かう。
外の空気を吸うのは、十年ぶりだった。
雪花は空がこんなに広いものだと思い出し、鳥が飛んでいる姿に驚いた。
主屋の様子は幽閉される前と変わりなかった。
やたらと豪奢な壺が飾られ、扉は金で造られている。だが、元はそう大きくない屋敷なので、高価な骨董で取り繕っても、どこかちぐはぐだった。粗末な家を無理やり飾り立てているような違和感がある。
母が生きていた頃は質素な住まいだったのだが、継母と再婚してからの父は急に贅沢をするようになった。地方役人の給金だけでは足りないので、金を借りているのだと思われる。
まるで砂上の楼閣のような豪奢な空間に、ぼろの服を着て、はだしの雪花はさらに不釣り合いだった。父母からは綺麗な衣服や靴など与えられない。彼らが恵むのは、毒入りの食事だけである。
金の扉の前に跪いた下女は、小さな声で扉の向こうにいる主人に告げた。
「お嬢様をお連れしました」
雪花は自らの震える手で扉を開ける。
するとそこには、まるで皇帝と皇后かと思うような豪奢な衣服を身にまとった父母が椅子に鎮座していた。
龍の刺繍を施した長袍を着た父は、傲岸に命じた。
「来たか、雪花。そこに跪くのだ」
「は、はい」
言われた通り、雪花は扉のそばに跪く。
十年もの間、閉じ込めていた娘に対して温情ある言葉のひとつもない。まるで召使いに対するような扱いだ。雪花は戸惑ったが、父には逆らえない。
鳳凰の刺繍を施した服を着た継母は、顔を歪めて雪花を見やる。
「なんて気味が悪い色なんでしょう。おまえの髪は老婆のようだし、目と唇は血に塗れたようだわ。まるで化物ね」
それは長年の服毒によるものなのだが、そもそも継母は雪花の死を望んでいる。もっと強い毒を与えられたら、今度こそ死ぬかもしれない。いつ殺されるかわからないので、雪花は言い返すこともできず、床に目線を落とした。
そのとき、父が笑みを浮かべつつ雪花に告げた。
「喜べ。おまえの輿入れが決まった」
「……えっ」
予想もしなかった父の言葉に、雪花は目を瞬かせる。
輿入れということは、雪花は誰かの嫁になるということだ。長年閉じ込められていた雪花が、いったいどこの家の、誰に嫁げるというのだろう。
「お、お父様、それはいったい……」
「その前に、確かめることがある。――おい、あれを持ってこい」
顎で命じられた下女は腰を上げると、どこかへ行ってすぐに戻ってきた。彼女は両手の中に、なにか小さなものを閉じ込めている。
わずかに蠢くそれは、鶏の雛だった。
下女は雛を雪花に手渡す。
つぶらな瞳の雛は暴れることもなく、雪花のてのひらに収まった。
温かなぬくもりに久しぶりに触れた雪花は、ほっと吐息を漏らす。
だが父は、冷酷な声で命じた。
「その雛のくちばしに、唇をつけるのだ」
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