第51話

 侍女を下がらせると、そばにいたオスカリウスは眉根を寄せた。

「バランディン王国の国内情勢は相当悪いようだ。王家への不満が高まり、王妃を処刑しろという声があがっていると聞く。他国の皇女になったセラフィナを憎んでいる暇などないと思うけれどね」

「そうね……。私のことより、アールクヴィスト皇国へ救援を要請するべきだわ。王はどういうつもりなのかしら」

「ダリラ王女の件で使者を送っているから、バランディン王が正式な親書を返すはずだ。兵の派遣を要請されたら、陛下は断らないだろう。セラフィナの祖国なのだからね」

 あと一週間ほどで、使者は戻ってくる。

 父王の親書に、ダリラ王女とセラフィナを交換してほしいと記してあったら、どうしよう。

 保険庁の仕事は投げ出せない。しかし女帝にとってはどちらもバランディン王国の王女なので、条件は同じといえる。

 オスカリウスと、別れることになる……?

 そんなのは嫌だ。彼と、離れたくない。お腹には彼の子が宿っているかもしれないのに。

 セラフィナの心配を汲んだかのように、オスカリウスはそっとセラフィナの背に手を添えた。

「心配ない。陛下の娘はセラフィナただひとりだよ。そして俺の妻も、あなただけだ」

「オスカリウス……」

 甘く深みのある声音で明瞭に告げられ、セラフィナのざわめいた胸が落ち着きを取り戻す。

 彼がいてくれたなら、たとえどんな困難に直面しても乗り越えていける。

 安堵したセラフィナは笑みを浮かべた。

 ふたりは自然に惹かれ合った互いの手を握り、絆を確かめ合った。


 翌日、セラフィナの執務室をダリラが訪ねてきた。

 彼女は笑みを浮かべ、妙に上機嫌である。

「お義姉さま、わたし、ちょっと買い物に行きたいの。街を案内してくださらない?」

 初めての申し出に、驚いたセラフィナは目を丸くする。

 ダリラから姉妹らしい発言が出るのは、今までになかったことだ。

「え、ええ、もちろんいいわよ。急に、どうしたの?」

「ほら、街を見学したいけれど、よく知らない人とでは不安でしょう? お義姉さまなら安心だと思って」

 ダリラにも姉妹の情があったのだ。祖国で意地悪だったのは、セラフィナを忌み嫌う王妃の思惑に合わせていただけだったのかもしれない。

 嬉しくなったセラフィナは椅子から立ち上がる。

 するとすぐに、控えていたマイヤがセラフィナのコートを持ってきた。

「では、わたしもお供いたします」

 だが、ぎらりとマイヤを睨みつけたダリラは硬い声で反対した。

「侍女はついてこなくていいわ。お義姉に相談したいことがあるから、ふたりきりで行きたいの」

 相談とは、祖国のことについてかもしれない。

 セラフィナはマイヤからコートを着せてもらうと、彼女の申し出を断った。

「マイヤはここで待っていて。オスカリウスが来たら、買い物へ行ったと伝えてね」

「承知いたしました」

 オスカリウスが執務室を訪れるまでには戻ってこられるだろう。

 だけど……ダリラは初めて街を見学するようなことを言ったが、ここ数日、頻繁にどこかへ出かけていたのではないのか。

 不思議に思ったが、ダリラに急かされたセラフィナは執務室を出た。


 馬車で街へやって来ると、ダリラは御者に指示して停車させた。

 降車した彼女はセラフィナを促し、「こっちよ」と言って、先立って歩いていく。案内してほしいと言っていたわりには慣れているようだ。

「ダリラ、どこへ行くの?」

「わたしの行きたい店よ。ついてきて」

「街へ来るのは初めてではないの?」

「そう、初めてなの。ま、細かいことはいいじゃない」

 ダリラの目指している店は随分と遠いようで、入り組んだ裏路地を通った。

 ややあって、看板のない怪しげな店に辿り着く。錆びついた扉を、ダリラはためらいもせず開ける。

 豪奢なドレスを来た王女が、裏路地にある寂れた雰囲気の店に堂々と入っていくとは、驚きの光景だ。

 なにか事情があるのだろうか。

 たとえば、貧しい人を助けてほしいだとか。

 そう考えたセラフィナはダリラのあとに続き、おそるおそる入店した。

 すると、そこは寂れた酒場のようなところだった。時間外なのか営業しておらず、カウンターにはローブを被った女性が、ぽつんと座っている。

「来たわよ。いいわね?」

 ダリラは居丈高に、カウンターの女性に声をかけた。

 すると女性は頭に被っていたローブを外し、くるりと振り返った。

 そこに意外な人物の顔を見て、セラフィナは驚きの声をあげる。

「ブデ夫人⁉ どうしてここに……」

 不敵な笑みを浮かべる女性は、間違いなくブデ夫人であった。

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