第44話

「……うっ」

 呻いたのはオスカリウスだった。

 彼は眉根を寄せて、一歩下がる。

「オスカリウス!」

 彼の足元に、真っ赤な鮮血が溜まっていた。

 青ざめたセラフィナは駆け寄ろうとするが、ふと気づく。

 オスカリウスのジュストコールには、どこにも血がついていないのだ。

 流血していないのに、足元の雪だけが赤く染まっている。どういうことだろう。

 オスカリウスは硝煙をあげている銃口を、ふっと吹き消した。

「どうやら、実弾ではなかったようだね」

「えっ?」

 振り向くと、エドアルドの腹の部分がべったりと赤く染まっている。

 それは血が噴き出しているというより、投げつられた血が付着したように見えた。

 エドアルドは赤いものを手で拭うと、てのひらを広げてみせる。

「なんだこれは⁉ 染料のようなものじゃないか」

 驚いている一同に、アレクセイは咳払いをこぼした。

「いかにも。実弾の代わりに、赤の絵の具を仕込みました」

 なんと、アレクセイは事前に染料を仕込んでいたのだ。これでは撃たれても死ぬことはありえない。

 確かに、実弾が入っているとは言っていないが……。

 アレクセイ以外の全員が驚いているので、彼のみが策略を知っていたのだろう。真剣な勝負なのに、どうしてこんなことをしたのだろうか。

 憤慨したエドアルドは、声を荒らげた。

「馬鹿にしている! 実弾と絵の具をすり替えるなど、紳士の名誉を著しく汚すものだぞ!」

「これは陛下のご指示です。甥のどちらかを失うなど、耐えられないとのことです。ご不満がありましたら、ぜひ陛下へどうぞ」

 しらっと言ったアレクセイは、凍りかけの眼鏡のブリッジを指先で押し上げる。

 唇をゆがめたエドアルドだが、ふと彼は拳銃をかまえた。

「えっ……⁉」

 セラフィナが驚いているうちに、再び銃声が鳴り響く。

 不意を突かれたオスカリウスの左胸に、赤いペイントがびしゃりとぶちまけられた。

「心臓を撃ち抜いている。おれの勝ちだ」

 勝ち誇ったエドアルドは硝煙の上がる銃を持った腕を、頭上に掲げた。

 なんと卑怯なのだろう。エドアルドは二発を撃ったことになる。しかも勝負は決していたはずだ。

 オスカリウスは眉をひそめた。

「不意打ちとは汚いぞ」

「黙れ。染料を用いた決闘を望んだのは陛下だ。そのやり方に則ったまでだ」

 これはどうなるのだろう。

 互いの染料の位置としては、エドアルドが腹部、オスカリウスは左胸にあり、優位なのはエドアルドである。

 だが、エドアルドは卑怯な方法で二発目を撃った。

 もし実弾ならば、エドアルドはとうに倒れていたはずである。だが、染料による勝負なので特殊な状況といえた。

 ジュペリエは小声でセラフィナに囁いた。

「エドアルドさまの反則負けよね。でも無効にしたほうがいいのかしら」

「無効にしたら、再試合になってしまうわ。そうしたら実弾を使うことを避けた陛下の心遣いが無駄になってしまわない?」

 実弾を用いての再試合という展開は避けたい。

 染料にすり替えられていたとは予期しなかったが、ふたりとも無傷で済んでよかったのは確かなのだから。

 アレクセイは高らかに、結果を宣言した。

「この勝負、エドアルドさまの勝利とします」

「……えっ⁉」

 セラフィナは驚きに目を見開く。

 ジュペリエの言う通り、エドアルドの反則だと思われるのに、どうして彼が勝者になるのか。

「待ってよ。反則ではないの?」

「確かに、エドアルドさまの行いは紳士的ではありませんでした。ですが、実弾を使用したと仮定しますと、左胸に染料が付着しているオスカリウスさまが心臓を撃たれて死亡していることになります」

「でも、エドアルドは先に腹部を撃たれているわ」

「腹部を撃たれても即死とは限りませんから。そのあとに発射することは可能です」

「そんな……」

 異議を申し立てたものの、立会人のアレクセイは、エドアルドが勝ったと判定した。

 審判の判断をねじ曲げることは難しい。

 オスカリウスは眉根を寄せていたが、従者が持っている木箱に拳銃を収めた。

「結果には納得できかねるものがあるが……立会人の判定に従おう」

 彼がそのように言うのならば、セラフィナがこれ以上判定結果に不服を述べるわけにいかない。

 ということは、離宮に呼ばれるのは……。

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