第43話
「ちょっと、セラフィナ。あんたがいくら心配しても勝負がどうなるのかは、もうすぐわかっちゃうのよ。凍傷にならないよう、手でも擦ってなさい!」
派手な豹柄のコートを着ているジュペリエの声が裏返っている。寒さによるものというより、彼も緊張しているのだろう。
早鐘のごとく、セラフィナの鼓動は鳴り響く。
ややあって、ふたりは森の開けた場所へやってきた。ここが決闘の地となる。
オスカリウスとエドアルドはすでに来ていた。そしてふたりの中間の位置に、アレクセイが佇んでいる。
宰相は慇懃な礼をした。
「ようこそ、いらっしゃいました。こちらがオスカリウス・レシェートニコフ大公、ならびにエドアルド・ラヴロフスキー大公の決闘場となります」
ごくりと息を呑んだセラフィナは、ジュペリエとともにアレクセイのそばに寄る。
オスカリウスとエドアルドは一直線上にいるが、互いに離れて用意を行っていた。
ふたりとも、やや表情が硬い気がするが、さほどいつもと変わりない。
ジュペリエは楽しげな声をあげた。
「さすが落ち着いてるわねぇ。あたくしはどちらが勝ってもいいわよ。ふたりとも応援しちゃうわ」
懐妊指導官の立場では、女帝と同様、どちらかの肩を持つことはできないのだろう。
けれど、セラフィナは違った。
オスカリウスに、勝ってほしい。
そんなことを願うのは皇女として不適切なのかもしれない。
――死なないでほしい。
それだけだ。たとえオスカリウスと結ばれないとしても、彼に生きてほしかった。好きだからこそ、オスカリウスに生きて幸せになってほしい。
もしもオスカリウスが敗れて、皇配候補から外されるようなことになったとしたら、彼は別の女性と結婚するかもしれない。
だがそうだとしても、セラフィナは彼の幸せを願おう。
粉雪の舞い散る中、そう心に決めた。
「おふたかたとも、準備はよろしいでしょうか」
アレクセイの声かけに、付き添いの従者が、手にしている木箱を開封した。木箱には天鵞絨に収められた対の拳銃が二丁入っている。まったく同じものだ。
「準備はできている」
「おれもいいぞ」
頷いたアレクセイは決闘について説明した。
「ご承知の通り、不正のないよう拳銃はこちらで用意しました。同じ型式の拳銃であり、調整も同一の職人が行っております。わたしもその場に同席して確認しております。――この二丁をそれぞれが手にしていただきまして、背中合わせになり、三十歩の距離を歩いたときに振り向いて撃っていただきます。合図はわたしが取ります。よろしいですね」
ふたりは黙然として頷いた。
単純に決闘では射撃の腕前が高いほうが勝利する。振り向いた瞬間にかまえて相手の心臓を狙うのは至難の業だ。大概は的を外すことが多いようである。
この決闘は、セラフィナという結婚相手と、皇配の座のふたつを取り合う男の戦いなので、双方とも容赦はしないだろう。むしろ、相手を亡き者にしたほうが都合がよいのだ。
従者が差し出した箱から、エドアルドは一丁の銃を手にする。オスカリウスも銃に手をかけようとしたが、その直前、ふと手を引いた彼はセラフィナの前へ立った。
ついとセラフィナの手を取ると、その手の甲にくちづけを落とす。
「冷たい手だ。必ず俺が温めると約束しよう」
「オスカリウス……。お願い、死なないで」
そう言うのが精一杯だった。
セラフィナは目に涙を溜めるのを、こらえきれなかった。
微笑みを見せたオスカリウスは、しっかりと頷く。
そして彼は、もう一丁の拳銃を手に取った。
「それでは、決闘者は位置についてください」
アレクセイの指示により、ふたりは背中合わせになった。
ガチリと撃鉄を起こすふたつの音が、冷えた森に鳴り、一気に緊張が高まる。
立会人であるアレクセイを除いた見学人のセラフィナたちは、少し離れたところから見守る。
アレクセイが掲げた手を打った。
パン……パン……、パン……。
ひとつ音が鳴るたびに、ふたりの男は一歩ずつ前へ進んでいく。
三十歩までは短いようで、とてつもなく長い時間だった。
セラフィナは心の中で数を唱えながら、息を殺して目を凝らす。
十三……十四……十五……。
アレクセイが打っている手の合図の間隔は、本人の感覚によるものなので、時計のように正確ではない。
いざ三十回に達したとき、タイミングを計るのが難しいのではないだろうか。
やがて、二十五、二十六と、そのときは近づく。
だが、二十九回目の合図が鳴った瞬間、木立から鳥が飛び立った。
その衝撃で、ばさりと雪が落下する音に、三十回目の合図がかき消される。
はっとしたセラフィナは目を見開いた。
銃声が轟く。
静謐な森に、その音は長く木霊した。
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