第36話

 ただし、制度の実施予定日は未定である。

 保険制度の噂を聞いた人々は「いつから始めるのか」と期待してくれているものの、財源の目処が立たないとは言えず困っている。

 よかったことと言えば、ゾーヤが回復に向かっていることくらいか。

 先日、見舞いに行ったときにはリハビリに勤しんでいた。彼女は、ほぼ歩けるようになり、完治は近いと医師も話していた。

 そのとき、数名の従者が執務室を訪れた。

 前にいた従者たちはそれぞれ、両手に抱えきれないほどの箱や花束を持っている。

 セラフィナは嘆息をこぼした。

「プレゼントは、けっこうよ。エドアルドに返してちょうだい。花束とカードはいただくわ」

 第二皇配候補のエドアルドは毎日のように、こうして贈り物を貢ぐのだ。

 本人が現れたときは、仕事が忙しいと言ってほとんど会わないので、なおさらセラフィナの気を引こうとするのだろう。

 マイヤが受け取った花束に添えられているカードをセラフィナに手渡す。カードを広げたセラフィナは、一読してすぐにデスクに置いた。

「夜会の招待状だわ。これで何百通目かしら」

 エドアルドからは、たびたび夜会や晩餐会の招待状をもらうのだが、総裁として多忙なので一度も行ったことはない。創設したばかりの保険庁を維持するのは存外に大変で、遊んでいる暇はなかった。オスカリウスが手伝ってくれなければ、今頃は諦めていたかもしれない。そしてエドアルドはどんなにセラフィナが忙しそうにしていても、手伝うとはひとことも言わないので、放っておくしかなかった。

 贈り物の箱を持ち帰った従者の後ろから、女帝の侍従が入室してきた。

 彼は扉のそばでセラフィナに告げる。

「セラフィナさま。陛下がお呼びです」

「わかったわ。すぐにうかがうわね」

 ヴィクトーリヤと話すのは久しぶりだ。おそらく、保険庁の仕事はどうかということについて聞きたいのではないだろうか。

 できれば財源について、もう一度相談したい。

 そう考えたセラフィナは女帝の執務室へ赴いた。

 

「お呼びでしょうか、陛下」

 執務室を訪ねると、室内には宰相のアレクセイもいた。羽ペンを置いた女帝は真剣な眼差しで、セラフィナをじっと見つめる。

「……あの、どうしましたか?」

「おかけなさい」

 ヴィクトーリヤは隣の部屋にあるソファを指し示した。仕切りのない隣室に移動したふたりは、ソファに腰を下ろす。アレクセイは黙然として、女帝の傍らに控えた。

 女帝と向かい合わせに座ったセラフィナは、仕事の話ではないのだなと直感した。

「セラフィナ。あなたがアールクヴィスト皇国を訪れてから、半年が過ぎたわね」

「はい」

「でも、あなたからは懐妊の兆候が見られないわ。聞くところによると、どちらの皇配候補とも、なにも起きていないだとか。エドアルドから状況を聞いたら、会ってもくれないと嘆いていたわ」

「はあ……あの、それは保険庁の仕事が忙しいので、会う暇がないのです」

「では、オスカリウスとはどうなの? 彼は副総裁なのだから、毎日顔を合わせているでしょう」

「そうなのですが、オスカリウスとは仕事の話をするのに忙しいのです」

 女帝は深い嘆息を漏らした。

 呼び出された用件とは、皇配候補との関係がどういった状況かという確認だったらしい。

 帝位を継ぐには懐妊することが条件だとわかってはいるのだが、話した通り、どちらの皇配候補とも進展はない。

 眉間に深い皺を刻んだ女帝は、アレクセイに目線を向けた。

「宰相の考えを聞こうかしら。交際を推奨されている男ふたりがすぐそばにいるのに、半年間もなにもない。もっと皇配候補を増やしたらいいの?」

 女帝の意見に、セラフィナはぎょっとする。

 アレクセイは眼鏡のブリッジを指先で押し上げ、冷静に答えた。

「人数を増やしても、意味は薄いと思われます。進展がみられない原因は、皇女殿下が懐妊への意識を持っていらっしゃらないことでしょう」

「あの……意識はしているのですが、どうしたらよいのかわからないのです」

 仕事が忙しいと言うと、保険庁の総裁を解任されてしまうかもしれない。

 身ごもって帝位を継ぐ資格を得ることも大事なのだが、今のセラフィナにとって、もっとも大切なのは保険制度を創設することだ。そのためには、仕事を言い訳にしてはいけない。

 とはいえ、懐妊するためにはどうしたらよいのか、本当にわからないのだった。

 経験はないものの、なんとなく男女の営みについては知っているが、まずはなにをどうしたら営みに至るのかがわからない。ことに至るまでの流れがあると思うので、どちらかの男性を部屋に誘って、いきなり服を脱ぐわけにもいかないだろう。そもそもセラフィナに、そんな大胆なことはできない。

 想いを告白し合って、キスをして……という感じのロマンチックな流れに憧れてはいるのだが。どういうタイミングで告白するものなのだろうか。

 セラフィナの答えに、アレクセイは眼鏡の奥の双眸を閃かせる。

「ということは、やはり――あの計画を実行するべきですね」

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