第35話
財源に余裕がない原因はセラフィナにもあるのだ。
豊かな産出量を誇る銀鉱山と、皇位継承者となる皇女を交換したばかりなのである。
女帝は財務大臣に命じた。
「財務庁で正確な数字を出してちょうだい」
「かしこまりました」
ハンカチを握りしめた大臣は逃げるように部屋を出ていく。
彼にとっては頭の痛い問題を出されたようだ。
ヴィクトーリヤはセラフィナに向き直る。
そして彼女は唐突に言い放った。
「決めたわ。保険庁を創設し、セラフィナを総裁に任命します」
「えっ……私が、総裁……?」
「やる気があるから提案したんでしょう? まさか、わたしが女帝だからといって、保険制度を丸投げするつもりじゃないわよね」
「もちろんです。私に、やらせてください」
まさか権限が与えられるとは思っていなかったので驚いたが、任命されたからには精一杯、保険事業の創設にむけて尽力するつもりだ。
セラフィナは笑顔で頷いた。
こうして新設された保険庁の初代総裁に、皇女セラフィナが就任することになった。
宮殿の一室に保険庁のための仕事部屋が設けられた。
がらんとした室内には執務机がひとつ、それから壁際には空の書架。
それだけだった。
人員は副総裁としてオスカリウスが任命された。あとは手伝いとしてマイヤがいるだけである。
総裁の椅子に腰を下ろしたセラフィナは、重い溜息を吐いた。
「陛下に期待されていなさそうね。私が飽きてすぐにやめると思っているのかしら」
「残念ながら、そのようだ。なにしろ財源を提示できないからな」
「そこが問題なのよね……」
財務大臣の報告によれば、全国民の医療費を国費でまかなうとなると、税金を現在から三割ほど引き上げないと財源が確保できないという。
税金を引き上げるという施策は簡潔なのだが、国民の反発を招くかもしれない。医療費の名目でこれ以上の税金を徴収すると、ルスラン兄妹のように困窮している層の人々は生活が破綻してしまうだろうし、もとから医療費の捻出に困っていない裕福な層は損を被ると考えるかもしれない。
「税金を引き上げる以外に、なにか方法はないかしら?」
セラフィナが問いかけると、オスカリウスは虚空を見つめる。
「金を生み出す方法か……。寄付は限界があるし、金額的に不安定だろうからな。国家事業として考えると……」
悩むふたりに、そばに控えていたマイヤはあっさりと言った。
「ほかの国から領土や金品を奪えばよいのではありませんか?」
「それはダメよ……。戦争を仕掛けたら、それこそ国庫が空になってしまうわ」
オスカリウスも同意して頷く。
「その通りだ。何万人もの兵士を派遣する経費がかかる。食料と水、武器に鎧に馬、海上戦なら船の造成。そして敗者になり、消滅した国は歴史上いくつもある」
「資源を奪うのではなく、生み出す必要があるわね」
その方法を編み出せれば苦労はしないのだが。
「とりあえず、財源はのちほど考えることにして、制度のひな形を先に作ってはどうだろうか。医療費は医師が立て替えることにするのか、その場合の申請窓口はどこにするのかなど、決めることはたくさんある」
「言われてみれば、その通りね。保険制度は医師との連携が不可欠だわ。まずは病院を視察して現状を把握したいわね」
「よし、さっそく街の病院を巡ってみよう。ゾーヤの見舞いにも行ってみようか」
「そうね。ルスランの様子も見たいわ」
席を立ったセラフィナはマイヤにあとを任せ、オスカリウスとともに外出する。
始まったばかりの保険庁だけれど、着実に前へ進んでいきたかった。
保険庁の総裁として、セラフィナは精力的に仕事を行った。
医療関係者や街の人々から聞き取りを行い、国民の戸籍を把握し、医者や各病院の実態を調べる。国民が保険を利用する場合のカードの発行や、医者が使用された医療費の申請を行うためのシステムについても、ひな形を作った。
保険制度の施行へ向けて前進しているのを実感するのだが、その一方、財源はどのように確保するのかについては不透明なままだった。
「困ったわね……。このままでは計画だけで終わってしまうわ」
溜息をついたセラフィナは、執務室から窓の外を見やる。
庭園はすっかり雪化粧に覆われていた。アールクヴィスト皇国は冬の到来を告げている。
セラフィナが皇国に来たときは初夏だったので、すでに半年ほどが経過していた。
保険庁の総裁に就任してからは日々を忙しく過ごしているので、時が経つのが早い。
紅茶を淹れたマイヤは微笑んだ。
「少し休憩なさってください。オスカリウスさまも、もうじきお戻りになるでしょう」
「そうね……」
オスカリウスは副総裁として、地方の役所へ赴いている。
医師から保険の適用があったことを申請するのは、各地域の役所が窓口となって取りまとめることにしたからだ。
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