第33話

「どうしてなの? 私たちは詐欺師ではないわ。あくまでも善意で、ゾーヤの怪我を治してあげたいの」

 ルスランは悲しげに首を左右に振った。

「そういうことじゃないんだ。ゾーヤだけ、タダで宮廷で治療してもらえるなんてことになったら、街の人たちに申し訳ないよ。みんなは大金を払って大きな怪我や病気を治してる。近所の鍛冶屋のおじさんは、子どもの病気を治すために寝ないで働いてるんだ」

 兄妹たちだけでなく、治療費を工面するため、街の人々は苦労しているのだ。

 それだけ高額な治療代がかかるということ。

 今のままの世の中では、大きな怪我や重い病気にかかった人々が治療することができず、生活に困窮してしまう。

 ルスランとゾーヤの兄妹がまさに、その状況に陥っているのだ。

 医者にさえかかれば、治るかもしれないのに。

 そのときセラフィナの脳裏を、とある語句が浮かんだ。

「保険はないの?」

「え。どういう意味だい?」

「保険制度のことよ。怪我や病気をしたら保険を使って、安い医療費で医者にかかれるの。そういった保険には加入していないのかしら」

「……なんだい、それ」

 ルスランは制度自体を知らないようだ。オスカリウスがセラフィナに補足する。

「そういった制度は存在しない。貴族も平民も、自費で医者に診てもらうしかないのだ」

「言われてみれば、この世界で保険制度は聞いたことがないわね……」

 なぜセラフィナが『保険』という単語を思いついたかというと、前世の記憶によるものだ。

 あの世界では国家が公費を投じて、国民全員が保険に加入できていた。

 だから社畜だったセラフィナも、体調を崩して風邪を引いたとき、安い医療代で医者にかかることができ、薬も購入できたのである。

 セラフィナの負担額は三割ほどだった。全額を自費でまかなうとしたら、やはり生活をおびやかすほど高額な請求になっていただろう。

「そうだわ! すべての国民が保険に加入できる制度を創設すればいいのよ。医療費を国費でまかなうの。そうしたら、ルスランも納得できるでしょう?」

 セラフィナは皇女であり、次の帝位を継ぐ地位にある。

 今のところは為政者ではないものの、女帝にこのことを話したら、改革に賛同してもらえるのではないだろうか。

 ルスランは首をかしげた。

「皇女さまがなにを言ってるのか、よくわからないよ」

「国民全員の医療費を皇国が負担する制度を作るということだ。ゾーヤは無料で街の医者に診せてあげられる」

 オスカリウスの解説に、ルスランは喜びを見せなかった。

 やはり悲しげな顔をして、寝たきりのゾーヤを見下ろす。

「国民全員って……すごい金額になるよね。いくら皇女さまでも、そんな金あるのかい?」

 彼は信じていないようだ。

 確かに、これまで保険制度のなかった世界では、その便利さを実感できないかもしれない。それにルスランの言う通り、制度を実現するには莫大な財源が必要だ。

 そのような金をどこから出すのか。壁は高そうである。

 セラフィナは決意を込めて、こぶしを握りしめた。

「すぐに実現するのは難しくても、必ずやり遂げるわ」

「ふむ……。その制度が実施されたら、国民は怪我や病気によって困窮する暮らしや不安から逃れられる。人々に大変喜ばれるだろう。俺は賛成するよ」

「ありがとう、オスカリウス」

「ただ、制度を創設するには陛下と大臣たちの承認を得なければならない。施行するのにも、ある程度の時間がかかる。――だがゾーヤは今すぐにも治療が必要だ。ひとまず診療代は俺が立て替えるから、近所の医者を連れてこよう」

「そうね。いずれは保険制度で無料にするわ。それでいいかしら、ルスラン」

 ルスランは小さく頷いた。セラフィナたちを信用してくれたのだ。

 すぐにオスカリウスとルスランは近所の医者を呼んでくる。

 医師はゾーヤの体を診察し、彼女にいくつかの質問をした。

「ここは痛いかな?」

「い、いたっ……」

 それまで朦朧としていたゾーヤは、足と腰に触れると悲鳴をあげた。その部位は真っ赤に腫れ上がっている。

 診察を終えた医師は、セラフィナたちに向き直った。

「腰と右足を骨折していますね。正しく治療してリハビリすれば、また歩けるようになるはずです」

「そうなんですね。よかった……」

 ほっとしたセラフィナに、医師は続ける。

「ただ、それには入院が必要です。このまま処置をせずベッドに寝ている状態が続いたら、たとえ骨折が治癒しても骨がゆがんでしまい、歩行が困難になる可能性が高いでしょう。――入院には高額なお金が必要ですが、どうしますか」

 医師は平淡に問いかけた。

 お金がないから入院できない、と断る例がほとんどなのだと思える。

「ぼくは、入院なんてお金は……」

 戸惑うルスランの肩に、セラフィナはそっと手を添える。

「入院します。私が、この子たちの後見人になりますから」

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