第32話
「そうだよ。その小鳥はぼくが彫った一点ものだから、そのくらいの価値があるんだ。あんたたち貴族にとっては、はした金だろ」
「だが百ルーブルは、職人の月給ほどの金額だ。いくらなんでも木製の置物がそのような値段なのは……」
セラフィナはオスカリウスの腕に、そっと手を添えた。
まっすぐにルスランの目を見つめる。
「払いましょう。――お願い、オスカリウス。私は財布を持ってきてないから、立て替えてちょうだい」
「……わかった」
たとえ法外な値段だろうが、製作者の言い値ならば正当な価格だ。
ルスランや店の様子から察するに、彼が金銭的な援助を必要としているのは明らかだった。商品の代金が少しでも生活の足しになればよいと思う。
オスカリウスは財布から取り出した札束をカウンターにのせた。
札束を見たルスランは瞠目して、ごくりと息を呑んでいる。
「この小鳥は私の部屋に飾るわね。売ってくれて、ありがとう」
「ちょっ、ちょっと待てよ! 百ルーブルなんて嘘に決まってるだろ。本当は十ペカだよ」
焦ったルスランは早口で言うと、札束を押し戻した。
嘆息したオスカリウスは札束を財布に戻し、その中の一枚をルスランの手に握らせる。一ルーブル紙幣は、十ペカの百倍の価値である。
「正直に言ってくれたな。釣りはいらない」
「……死んだ父さんが、『嘘つきは泥棒になる』って言ってたから……。ぼくは、泥棒じゃない」
彼は本当は正直で、まっすぐな少年なのだ。
ただ両親を亡くすという不幸から始まり、大人を信じることができなくなってしまったのだろう。このままでは兄妹がこの境遇から抜け出せないまま、さらなる不幸に見舞われてしまうかもしれない。
金銭を恵むのは生活の足しにはなるかもしれないが、根本的な解決には至らないのではないか。
そう考えたセラフィナは、ぎゅっと木彫りの小鳥を握りしめた。
「ねえ、ルスラン。妹のゾーヤに会わせてもらえるかしら。私たちで、医者に連れていってあげたいの」
「そんなの無理だよ……。まあ、会うのはいいよ。奥で寝てるんだ」
カウンターの椅子から立ち上がったルスランは、セラフィナたちを奥へ案内してくれた。
店舗の奥には居住用の部屋があり、小さな水場があった。
その隣の狭い部屋で、ベッドに横たわっている少女がいた。
ルスランは少女に声をかける。
「ゾーヤ。この人たちが、おまえに会いたいって」
ひどく青白い顔の少女は身じろぎをしたが、どうやらベッドから起き上がれないようだ。
睫毛が震えて、生気のない目がこちらを捉える。
「お……お客さま……? いらっしゃいませ……ご入り用は……」
小さな声は消え入りそうに細い。
彼女は店に立っているつもりで、セラフィナたちに応じたのだ。
切なくなったセラフィナは、ゾーヤを怯えさせないよう、静かに声をかける。
「こんにちは、ゾーヤ。私はセラフィナよ」
「お、お嬢さま……こちらの櫛は……とても珍しいサンゴが使われて……」
セラフィナに商品を紹介しているのだ。
彼女の脳内では、両親が生きていて、店の手伝いをしている光景が繰り広げられているのかもしれない。
ルスランは、きつく唇を噛みしめた。
「妹はいつも意識が朦朧としているんだ。父さんと母さんとゾーヤは三人で仕入れに出かけたとき、馬車の事故に巻き込まれた……。ゾーヤだけは助かったけど、足の怪我で歩けなくなってしまったんだ。しばらく痛い痛いって泣き叫んでいて、ぼくは寝ないで看病した。そうしたらある日、糸が切れたみたいに、こんな状態になって……」
悲しいできごとが、切々と少年の口から吐かれた。
オスカリウスは沈痛に眉根を寄せると、ルスランに問いかけた。
「事故からずっとこの状態なのか? なぜ医者に診せない」
「そんな金があるわけないだろ! 医者に診せるだけで、百ルーブルかかるんだぞ。薬代もそのくらいはする。医者にかかれるのは金持ちだけだよ」
ルスランの本音は、ゾーヤを医者に診せたいのだ。だから彼は、木彫りの小鳥が百ルーブルだと言った。
だが、今の状態では兄妹ふたりが食べていくだけでも苦しいだろう。いずれは店を売り払うしかなくなってしまう。
兄妹をこのままにはしておけない。ゾーヤの怪我の具合がよくなれば、兄妹でまた店に立つこともできるはずだ。それにはやはり医者に診せなければならない。どの程度の怪我なのか知り、治療する必要がある。
「宮廷医師に診せよう。きみたちから料金は取らない。ゾーヤを宮廷へ運んでもいいだろうか」
「えっ……宮廷って、あんたたちはいったい何者なんだ?」
「名乗るのが遅れたが、俺はオスカリウス・レシェートニコフ大公。彼女はセラフィナ皇女殿下だ」
大公と皇女だと知り、驚きに目を見開いたルスランだったが、すぐに眉根を寄せた。
「……ダメだ。それならなおさら、あんたたちの世話にはなれない」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます