第31話

 そう思うと、前世の記憶を取り戻したのは無駄ではないのだと思えた。

 お勧めされた白パンに黒パン、それにクロワッサンなどをトレーにのせて会計する。

 オスカリウスは懐から財布を取り出す。

「会計は任せてくれ。今日はすべて俺に奢らせてほしい」

「ありがとう。でも、なんだか悪いわ」

「気にしないでくれ。ご主人に格好いいところを見せたいしね」

 片目をつむったオスカリウスとセラフィナを、ご主人は微笑ましく見ていた。

 だが、会計を終えて包んだパンを渡すと、ご主人は神妙な顔つきになる。

「オスカリウス……実は、氷の大公であるきみに、頼みがあるんだが……」

「なにかな。ぜひ遠慮せずに話してほしい」

 唇を引き結んだご主人は、扉の方向を指差した。

「向かいに雑貨屋があるんだが、そこの兄妹を助けてほしいんだ」

「詳しいことを教えてくれ」

「両親が不慮の事故で亡くなって、兄妹だけで店をやってるんだよ。しかも、妹も事故に巻き込まれて怪我をしてね。妹のゾーヤを孤児院へやったらどうかと進言する人もいるんだが、兄のルスランは首を縦に振らない。近隣のわたしたちも、兄妹をどうしたらいいか悩んでいる」

「なるほど……。どうしたらいいかというのは、兄妹が幸せになるにはどのような策を取ったらよいかと、ご主人は悩んでいるということだな?」

「もちろんだ。兄妹たちはまだ子どもだ。そこに目を付けて、店を奪おうとする輩もいるらしい。両親が生きていた頃のふたりは明るくて、とてもいい子だったんだよ。頼む、なんとかしてくれ!」

 ご主人は両手を合わせて頼み込んだ。

 オスカリウスとセラフィナは顔を見合わせて、互いに頷く。

「わかった。まずは、その雑貨屋を訪ねてみることにしよう」

「頼んだよ。わたしになにかできることがあったら、手伝うから」

 ご主人は兄妹のことを相当心配しているようだ。子どもたちだけで雑貨屋を経営するのは、並大抵の苦労ではないだろう。

 ふたりはパン屋を出ると、向かいの雑貨屋に足を向けた。

「行ってみようか、セラフィナ」

「ええ、そうね。兄妹に会ってみましょう」

 兄妹がいるという雑貨屋はこぢんまりした店で、看板が剥げている。

 ふたりは軋む扉を開けた。

 店内に入ってみると、中は薄暗く、客は誰もいない。

 雑貨屋だそうだが、仕入れが少ないらしく、棚にはわずかな商品しか置いてなかった。奥のカウンターに十代の少年が背を丸めて座っている。

 この少年が兄のルスランだろう。

 いらっしゃいませと言うこともなく、彼はうつむいていた。ひどく貧相な体つきをしている。

 オスカリウスはカウンターの前へ行くと、少年に声をかけた。

「きみがルスランかい?」

「そうだけど……なんだ、あんたたちは。客じゃないなら帰ってくれ」

 顔を上げたルスランは、乱暴に言った。眉根を寄せて、疑いの目をこちらに向けている。

 パン屋の主人が、『店を奪おうとする輩もいる』と話していたので、詐欺師だと疑っているのかもしれない。

「我々は、パン屋の主人の知り合いだ。ご主人はきみたちの窮状を心配していたよ」

「おじさんが……? でも、関係ないよ。ぼくたちの両親は死んだ。どうにもならないんだよ」

 投げやりに答えるルスランは、すべてを諦めているように見えた。

 セラフィナは彼に優しい声をかける。

「怪我をしている妹さんがいると聞いたわ。彼女の具合はどうなのかしら」

 妹は店にはいないようだった。奥で休んでいるのだろうか。

 すると、ルスランがセラフィナに警戒を含んだ眼差しを向ける。

「なんだよ。あんたも、妹を売れだとか言うつもりか? ゾーヤはぼくの妹だ。絶対にあんたたちの思い通りにさせないからな」

 彼は接触してくる人間すべてが敵だと思い込むようになってしまったようだ。それも、数々の悲惨な経験をしたためだろう。

「そんなことはしないわ。ただ、彼女の怪我がどの程度なのか知りたいだけなの。お医者さまには診せたのかしら」

 ルスランは鼻で嗤った。

「医者にかかれるわけないだろ。診療代はいくらすると思ってるんだ。ぼくたちを気の毒だと思うなら、商品を買っていってくれよ」

 彼の言うことも、もっともだ。

 商売を営んでいる人の店に押しかけて、事情のみを聞かせてくれとは、営業妨害に等しいだろう。

 セラフィナは、ほぼ空になっている棚に目を向けた。

 そこに、小さな木彫りの鳥が置いてあるのを見つける。置物として飾っておく品のようだ。

 てのひらに収まるほどのそれを、セラフィナは手に取る。

「それじゃあ、これをいただこうかしら」

「まいど。百ルーブルだ」

 さらりと述べたルスランの言葉に、オスカリウスは目を見開いた。

「百ルーブルだと⁉」

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