第29話
かといって、どちらかの皇配候補を指名して夜伽を行うだなんて、考えられなかった。なにしろ前世でも、男性に言い寄られた経験などないのである。しかもふたり同時に迫られるなんて、どうしたらいいのかすらわからない。
表情を曇らせるセラフィナに、アレクセイはぐさりと釘を刺した。
「できるだけ早く、ご懐妊なされませ。陛下の気はそんなに長くありません。結果を出さなければ、セラフィナさまは次の女帝になれないのですから」
それは、セラフィナが懐妊しなければ、皇位継承者の地位を剥奪されかねないと示唆しているのだ。
もし懐妊しないときには、法律により女帝になれない。
すぐにでも結果を出すことを求められ、セラフィナは重い溜息を吐いた。
数日後、セラフィナはオスカリウスに誘われて、街へ出かけた。
皇女として大勢の従者を連れ歩いては仰々しいので、ふたりきりだ。護衛としてはオスカリウスがいてくれれば充分である。
セラフィナは祖国にいたときから、ほとんど街へ出かけたことがない。アールクヴィスト皇国を訪れてからも、日々の暮らしに慣れるのが精一杯だったので、宮殿を出て街を歩くのは初めてだった。
馬車に揺られながら、セラフィナは快活に声を弾ませる。
「楽しみだわ。街へ出かけたいと思っていたの」
「それはよかった。宮廷にいればなんでも手に入るが、たまには息抜きも兼ねて、街へ買い物に出かけるのもいいかと思ってね。欲しいものがあったら買うといい」
「私は欲しいものなんて……なにもないわ。ただ、街の人々がどんな暮らしをしているのか知りたいと思っていたの」
セラフィナは目を細めて車窓に映る街並みを眺めた。
祖国にいたときはすべてを奪われる暮らしを強いられていた。そのためなのか、物欲があまり湧かないのだ。ドレスや宝石などはとても美しいが、それで着飾ろうという気にならない。
オスカリウスに贈られたサファイヤブルーのドレスをまとい、夜会で踊った思い出があるだけで充分に満たされていた。
だからセラフィナが欲しいのは物ではなく、体験なのだった。
もし将来女帝になるとしたら、狭い世界で生きてきたセラフィナが即位するのを、国民が納得しないだろう。
この機会にぜひ、国民と触れ合いたい。
「では商店を散策しようか。首都は商業地区がほとんどで、商売を営んでいる人々が多い。案内は任せてくれ」
「オスカリウスは町歩きに詳しいの?」
「国立大学院に通っていたときは、街の食堂や雑貨屋などに出入りしていたよ。学友たちと街を歩くのは、とても貴重な経験だった」
「そうなのね……」
セラフィナはそのような経験をしたことは……あった。
脳裏に洪水のごとく流れ込んでくる情報に、経験が更新される。
前世で高校に通っていたとき、クラスメイトたちとファーストフード店に行ったりしていたのだ。おぼろげな記憶だが、それに関連付いた様々な情報がセラフィナの脳にインプットされる。
「私も遠い記憶の中で、そんなことがあったような気がするわ……不思議ね」
「ほう。もしかして、前世の記憶というものかな?」
「えっ。どうしてそれを……」
まさにその通りなのだが、オスカリウスに『前世の記憶』と言い当てられて驚く。
「アールクヴィスト皇国には『千年に一度だけ、前世の記憶を持つ聖女が現れる』という伝承があるんだ。かつて皇国に現れた聖女は慧眼を持っていて、国民のためになる様々な改革を行ったという。その改革の基礎は、前世の記憶から導き出したものだというんだ」
なんと、セラフィナのほかにも前世の記憶を持つ女性がいたらしい。といっても、千年ほど前の人物なので、もはや伝説と化しているのだろう。
その聖女は様々な改革を行った英雄のような存在らしいが、セラフィナにはそのような指導力など持ち合わせていない。
「まさか、私が聖女のわけはないわ。でも前世の記憶があるのは確かなのよ。とても信じられないでしょうけど。オスカリウスは羽鳥さんという名で、会社の同僚だったわ」
「ハトリ……俺と初めて会ったときに、そう呼んだね。あなたが嘘をつくわけはないから、信じるよ。俺が前世でもセラフィナのそばにいられたなんて嬉しいな。俺の記憶にはまったく残っていないのが残念だ」
セラフィナは微苦笑を見せた。
記憶にないほうがいいかもしれない。
羽鳥さんとは同僚だったというだけで、彼はほかの女性と結ばれてしまったのだから。
つまり前世と似たような環境だとしたら、オスカリウスも羽鳥さんのように、セラフィナを結婚相手の候補として選ばないともいえるのだ。
オスカリウスは、陛下から指名されたから私の相手をしているだけなのかしら……。
それだけではないと思いたいが、彼の真意を確かめるのも恐い気がする。
セラフィナが悩んでいるうちに、馬車は街の中心部へ到着した。
気分を切り替えて、街を見学しよう。オスカリウスのエスコートで、セラフィナは馬車から降りた。
ふたりは並び歩いて、活気に溢れた街を歩いた。
もちろんセラフィナの手は、オスカリウスの肘に回されている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます