第20話
◆
セラフィナの着替えを待つため、別室へ入ったオスカリウスは椅子に腰を下ろす。待機していた侍女が紅茶を用意しようとするのを、「ひとりにしてくれ」と軽く手を振って断る。
深い溜息を吐いたオスカリウスは、すぐそばの部屋にいるセラフィナを思い浮かべた。
女帝から皇配の話を聞いたときは、断ろうかと考えていた。
ほかの異国の王女に会ったこともあるが、王族や高位の貴族の子女は総じて気位が高く、誰がパンを作っているのか、なぜそれを働きもしない自分が食べられるのかなど考えもせずに贅沢をしているのである。
贅沢をするのは特権階級なのだから当然の権利であると思っている女性とは、オスカリウスは結婚生活を送れそうにない。
皇族のオスカリウスではあるが、街の学校に通った経験を通して、市民の一般的な暮らしに触れることができた。
パン屋は早朝からパンを焼き、仕立屋は一日中、服を作製している。
彼らの絶え間ない労力により、皇族や貴族は生かされているのだと感じた。
おそらくセラフィナ王女も、そんなことは考えもしない浪費家ではないだろうかと予想していた。
『愚かなバランディン王』の逸話は、銀鉱山の価値に気づかなかった王が、売り払ってしまった鉱山を取り戻そうとするも、己の浪費により叶わなかったという実話に基づいた笑い話だ。
実際に、現バランディン王の治世はうまくいっていないようで、各地で暴動が起きている。原因は税金が高すぎるためだが、それでも国庫は空らしい。
レシアト国から迎えたクレオパートラ王妃と、その娘のダリラ王女が浪費家で、金がいくらあっても足りないのだと思われる。それだけではなく暴動を鎮圧するのにも、雇った傭兵や兵士を地方へ派遣するため金が必要だ。そのため王は、第一王女のセラフィナと引き替えに、資金源となる銀鉱山を入手したのである。
だが、それでも根本的な解決を図らなければ、国庫を潤し、国民を納得させることはできないだろう。
現王は、『愚かなバランディン王』を教訓としていない。
バランディン王国が破綻するのは、そう遠くない未来だと思えた。
それにしても……と、オスカリウスは首を捻る。
浪費癖から抜け出せないバランディン王家だが、なぜかセラフィナ王女の噂はなにも聞かなかった。
侍従から聞いた情報によると、亡くなった前王妃の娘だそうだが、それだけだった。彼女はまるで存在しないかのように希薄である。
きっと浪費家の王妃や義妹と同じだろうと思っていたが、セラフィナ本人に会ったオスカリウスは密かに驚嘆する。
――想像とまったく違った。
なんと慎ましく、心優しい女性だろう。他者に『ありがとう』と感謝を述べる高位の女性を、オスカリウスは初めて見た。
薔薇園で会話を交わしただけで胸が弾み、オスカリウスはすぐにセラフィナを好きになってしまった。
しかもセラフィナは浪費家とは、ほど遠かった。
それどころか王女であるはずの彼女は、貧民のようであった。みすぼらしいドレスを着て、体は食事を取っていないかのように痩身だ。顔色が悪く、髪や肌にも色つやがない。
医師の健康診断によると、病気ではなく、長年の栄養不足によるものだという。
それに対して、侍女のブデ夫人はでっぷりとして豪奢なドレスを着ていた。なにも知らない人間が見たら、ブデ夫人が主に見えるだろう。
どうにも違和感がある。
しかもセラフィナは毎度の食事を『気に入らない』と言って、床に投げ捨てているのだとか。それはブデ夫人の言い分なのだが、代わりの食事を作れと彼女は命じない。つまりセラフィナは、自らの希望でなにも食べていないということになる。
不審に思ったオスカリウスは、料理長に確認させた。
すると、セラフィナは料理長の差し出した食事をありがたく食べたのだという。ブデ夫人は不服そうにしていたという報告も併せて受けている。
侍女頭に聞いたところ、ブデ夫人はもともと、クレオパートラ王妃が輿入れするときにレシアト国から同行してきた侍女だという。
他国へ養子になるか、もしくは輿入れする王女の侍女は、赤子の頃から面倒を見ている乳母というのが一般的だ。乳母は侍女となり、生涯ひとりの主人に仕えるものである。
セラフィナの乳母は、なぜ同行しないのか。わざわざ王妃付きの侍女を随行させるのは異例である。
導き出される結論はひとつしかない。
「……監視役か」
オスカリウスは低い声でつぶやく。
クレオパートラ王妃の思惑により、彼女の侍女が監視役としてセラフィナについてきたのだ。
どう見てもセラフィナは祖国にいたときから冷遇されている。
理由は前王妃の娘だからといったところか。いずれにせよ、セラフィナ自身に問題があるわけではなく、不当な処遇だ。
オスカリウスは直属の部下であるマイヤを派遣して、セラフィナからブデ夫人を遠ざけさせた。
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