第19話

 女帝の側近が、セラフィナの名を呼び上げた。

「バランディン王国、王女セラフィナ――」

 講義で習った通り、セラフィナは玉座の階段下まで来ると、ドレスの端を抓み、やや頭を下げる。これが皇国式の、淑女の礼だ。

 すると、玉座の女帝がセラフィナを手招いた。

「もっと、こちらへ」

 命じられたので、セラフィナは階段を一歩上る。

「もっと」

 女帝は立ち上がった。そして彼女は、すっと右手の甲を差し出す。拝謁を許すという所作だ。

 手の届くところまで階段を上ったセラフィナは、女帝の右手を両手で持つ。忠誠を込めて、白い手の甲にくちづけを落とす。

 この行為は、セラフィナが女帝に次ぐ地位にあることを認めるという表れだった。

 女帝が命じなければ、階段を上ることなど許されないのである。

 ヴィクトーリヤは高らかに宣言した。

「たった今、わたしは娘を得ました。アールクヴィスト皇国の皇女セラフィナは、皇位継承者の地位を有します」

 セラフィナは深くお辞儀をした。

 参列した人々から拍手が沸き起こる。

 正式に皇女となったセラフィナは、女帝への一歩を踏み出したのだった。


 皇位継承者が誕生した祝賀行事として、その夜は女帝主催の夜会が催されることになっていた。

 儀式を終えたセラフィナは、ひと息ついて椅子に腰を下ろし、紅茶を嗜んでいた。

 無事に終わって、よかったわ……。

 皇女として認められた感慨が、喉元を流れ落ちる紅茶とともに胸に染みた。これからはアールクヴィスト皇国の一員となったのだ。

 もう虐げられた王女ではないし、バランディン王国に所属する人間ではなくなった。

 悲しい思い出しかない祖国と決別できたことが、セラフィナに心からの安堵をもたらす。

 ここは控え室としてあてがわれた宮殿内の一室だ。大勢の皇国の侍女たちが、夜会の支度に取りかかっている。

 そこへ、オスカリウスが入室してきた。

「おつかれさま。立派だったよ、セラフィナ」

「オスカリウス! あなたのおかげだわ。ありがとう」

 立ち上がったセラフィナはオスカリウスのもとへ駆け寄った。

 彼が贈ってくれたドレスがなければ、セラフィナは儀式に参加できなかっただろう。

 オスカリウスは双眸を細めて、アイスグリーンのドレスをまとっているセラフィナを見つめる。

「淑女の支度に顔を出して、すまない。どうしても夜会に着てもらいたいドレスがあって、それを持参したのだ」

「着てもらいたいドレス……私に?」

 オスカリウスが控えていた従者に合図を出す。従者は抱えきれないほどの大きな箱を持ってきた。

 心得たマイヤがトルソーを用意する。

 侍女たちの手により、箱のリボンが解かれ、蓋が開けられる。

 中から現れたのは、鮮やかなサファイヤブルーのドレス。

 セラフィナは感嘆の声をあげた。

「なんて素敵なドレス……! これはまさか、オーダーメイドでお願いしたドレスなの?」

 きらきらと光を受けて輝くサテンのドレスには繊細なレースやリボンがあしらわれ、幾重にもフリルが施されている。

 なによりもセラフィナの心を躍らせたのは、ドレスが寸分違わず、オスカリウスの瞳と同じ色だったことだ。

「その通り。ぜひ夜会で着てほしくてね。職人に大急ぎで作らせたんだ」

「嬉しいわ……ありがとう。なにかお礼をさせてちょうだい」

「このドレスをまとったあなたを俺に見せてくれたら、それこそが褒美だ」

「ええ。今日の夜会で着させてもらうわ」

 マイヤを始めとした侍女たちがトルソーにサファイヤブルーのドレスを飾る。

 美しく光り輝くドレスをうっとりと眺めるセラフィナに、オスカリウスは囁いた。

「ぜひ、夜会では俺とダンスを踊ってほしい」

「もちろんよ。楽しみだわ」

 セラフィナはドレスとオスカリウスの瞳を交互に見やり、自然な笑みを綻ばせた。

 なにかを楽しみにするという感覚は、人生で初めてのことかもしれない。セラフィナの胸は極上の砂糖菓子を溶かしたように、甘く優しいものでいっぱいになった。

 たっぷりドレスを鑑賞したあとは、夜会のために着替えを行う。セラフィナはドレスを替えるため、複数の侍女に囲まれた。

 オスカリウスは別室へ足を向ける間際、そっとマイヤに訊ねる。

「ブデ夫人の姿が見えないようだが。セラフィナの侍女なのに、彼女はなにをしている」

「儀式の支度のときから、いませんでした。居場所は調査中です」

 軽く頷いたオスカリウスは控えの間を出ていった。

 背を向けて別室へ移動する彼を、ブデ夫人は柱の陰から悔しげに見ている。

「わたくしを馬鹿にして……許しませんわよ。今に見ているがいいわ」

 怨嗟をつぶやいたブデ夫人は身を翻すと、宮殿の裏口へ向かった。

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