第17話

 祖国から着てきたドレスは大切にしていたわけではなかった。あの一着しか着るものがなかったのだ。それもブデ夫人が勝手に捨ててしまった。

 ふと、セラフィナは身にまとっているクリームイエローのドレスを見下ろした。

 ドレスはすべてなくなったわけではない。今、着ているドレスがあるではないか。

 このドレスで儀式に参加してもよいだろうか。普段着といった簡素なドレスなので、儀式用ではないのだが仕方ない。せめて一着だけでも残っていてよかった。

 ほっとしたセラフィナが胸に手を当てていると、それを見たブデ夫人は唐突に命じた。

「ドレスを脱ぎなさい」

「えっ……なぜ?」

「いいから、ドレスを脱ぎなさいと言っているでしょう! 寝巻に着替えるのですよ」

「でも、まだ明るいのにどうして……きゃあっ」

 まさか、このドレスまで奪おうというのか。

 ブデ夫人は無理やりセラフィナのまとっているドレスを引っ張り、剥がそうとした。

 そのとき、コンコンとドアがノックされる。

「失礼いたします。セラフィナさま、よろしいでしょうか?」

 若い女性の声だ。おそらく、皇国の侍女である。

 ぴたりと動きを止めたブデ夫人はセラフィナから離れ、何食わぬ顔をした。

「お、お入りなさい」

 セラフィナが告げると、ドアを開けた侍女は戸口で一礼し、入室した。

 ドアの外まで今の会話が漏れ聞こえていたのではないかと案じたが、彼女は平然としている。

 しかも室内は切り裂かれたドレスが散乱し、花瓶が倒れているのだ。なにかあったと訝って当然だろうが、侍女は惨状が目に入っているはずなのに顔色ひとつ変えない。

「お客さまがお見えです。別室へ来てほしいとのことですので、ご案内いたします」

「そ、そうなの。では、行きましょう」

 客人とは誰なのか心当たりがないが、ブデ夫人から逃れる用事ができたのは幸いだ。

 ところが夫人は目を吊り上げて、侍女を睨みつけた。

「お待ちなさい! 勝手な真似は許しません。セラフィナさまは心神喪失しているのですから、誰にも会わせるわけにはいきませんよ」

 ブデ夫人を横目に見た侍女は、唇に弧を描いた。

「まるでブデ夫人が主人のようですね。あなたはセラフィナさまの侍女ですから、主人の命令に従う立場ではありませんか?」

「なにを生意気な! この小娘が!」

 若い侍女に諭されて、かっとなったブデ夫人は手を振り上げた。

 いけない。頬を叩くつもりだ。

 セラフィナが止めようとした、そのとき。

 俊敏な動きで腕を伸ばした侍女は、ブデ夫人の手首を握りしめた。

 夫人は苦悶の声を響かせる。

「ひぎぃっ!」

「あら、ごめんなさい。うふふ」

 微笑んだ彼女は手を離した。するとブデ夫人は握られていた手首をもう片方の手で押さえて、ヒイヒイと言っている。

 細身の侍女だが、意外にも握力が強いようだ。

「この! 名前を言いなさい」

「わたしの名はマイヤです。よろしくお見知りおきを。侍女のブデ夫人」

 マイヤはボブカットの黒髪を、さらりと揺らして笑みを見せる。

 侍女にしては随分と余裕のある言動だが、いったい彼女は何者だろうか。

 怒ったブデ夫人は、マイヤを指差した。

「セラフィナさま、この娘です。わたくしが部屋から出たあと、この侍女がドレスを切り裂いたのです。今すぐに鞭打って辞職させますからね!」

「えっ……でも……」

 まるで取って付けたかのような言い分だ。もし本当にマイヤの仕業なのだとしたら、彼女が部屋に入ってきたときにブデ夫人からなんらかの証言があってよいはずである。

 このタイミングで犯人と指摘するのは、殴ろうとしたがそれを遮られたのが不服なので、やり返そうとしているとしか見えない。

 犯人扱いされたマイヤは動揺することなく、口端を引き上げた。

「あらら。わたしのせいにするには、情報が後出しすぎませんこと? わたし、知ってるんですよね。セラフィナさまが講義室へ向かったあと、この部屋から聞こえた物音をね」

 ぎくりとしたブデ夫人は、マイヤの顔へ向けた指を下ろした。

 夫人は動揺したように、視線をうろうろとさまよわせる。

「な、なにを……証拠でもあるんですか?」

「では侍女のブデ夫人に聞きますけど、わたしが犯人だという証拠でも、あるんですか?」

 ブデ夫人は黙り込んだ。

 完全にマイヤに、やり込められたのだ。

「それでは、わたしはセラフィナさまをご案内しますので。侍女のブデ夫人は、陰湿な何者かが荒らしたこの部屋を片付けておいてください。わたしがいつでも陛下に報告できる信頼ある侍女であることを、忘れないでくださいな」

 歯噛みしたブデ夫人は、床を踏み鳴らした。

 セラフィナはマイヤとともに部屋を出る。

 マイヤの案内で廊下を歩みながら、セラフィナは謝罪した。

「ごめんなさい、マイヤ。ブデ夫人は誤解しているのよ。私はあなたが犯人だなんて思っていないから、辞職に追い込むようなことにはならないわ。安心してちょうだい」

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