第15話
アイスグリーンのドレスは初夏の風景にふさわしい爽やかさを醸し出している。リボンなどの装飾はほとんどなく、皇女としての気品が滲んでいた。
「あと数日で儀式なのね……」
感嘆の息を吐いてドレスを見つめる。
セラフィナはすでに祖国から着てきたみすぼらしいドレスを脱ぎ、贈られたドレスのひとつをまとっていた。クリームイエローの簡素なドレスだが、新品なので光り輝くような光沢がある。しかも新しいドレスは生地が良質なので、肌に擦れて痛んだりしないのだ。着心地がよいことが、なによりセラフィナには嬉しかった。
ドレスから目線を外し、小さなテーブルに飾られた花瓶の薔薇を眺める。
真紅の薔薇は極上の美しさを誇っていた。
両手に抱えきれないほどのたくさんの薔薇は、オスカリウスからの贈り物である。しかもすべての薔薇の茎には棘がなかった。セラフィナが誤って怪我をしないために、そぎ落としてくれたのだ。
この薔薇を見るたびに、彼の精悍な顔立ちに浮かんだ優しい笑みを思い出した。
「何色が好きかと聞いたのは、贈る薔薇の色のことだったのね」
彼の気遣いを察しなかった自分の配慮のなさに、セラフィナは微苦笑を浮かべた。
けれど心は浮き立ってしまう。
薔薇に添えられて贈られたカードには、流麗な文字でこう綴られていた。
『可憐なセラフィナに、初めての贈り物を捧げる』
なんの変哲もないひとことかもしれないが、オスカリウスの華麗な美貌とは対照的に、木訥で誠実な人柄がうかがえる。
セラフィナは純白のカードを何度も開いては、そこに書かれたオスカリウスの文字をうっとりとして眺めた。
そのとき、雑な足音が鳴り響くのを耳にして、とっさにカードを胸元に隠す。
「まあまあ、セラフィナさま。また、ぼんやりして! 儀式のマナーは習得したんですか⁉」
不必要に声を張り上げるブデ夫人は、怒っていた。
セラフィナが皇女として認められたばかりか、女帝からドレスまで贈られたからである。
ことごとく夫人の思惑通りにいかないので、日を追うごとにブデ夫人の苛々は募っていた。
着替えを手伝うと言って、腕や腿を抓られるのは毎日のことだ。それにセラフィナに提供された食事をわざとひっくり返し、三度の食事を与えないということも行っている。
不審に思った料理長が挨拶に訪れて、自ら作成した食事をセラフィナに提供してくれた。そのときは料理長がセラフィナの食べる姿を見守ってくれたので、手出しができないブデ夫人は歯噛みしていた。
皇族には本来、複数の侍女や侍従が付き従い、身の回りの世話をするものなのだが、ブデ夫人は皇国側の侍女をすべて断り、セラフィナを人に会わせないようにしている。
それはブデ夫人がセラフィナをいじめていることを、皇国に悟られないようにするためだ。
料理長との一件のおかげで、どうにか食事は日に一度は取れているものの、このままでは大きな事件につながってしまいそうで、セラフィナは心配していた。
「マナー講師を待っているところだったの。これから授業が始まるのよ」
マナーを習得する授業は覚えることが多くて大変だったが、セラフィナは空腹と貧血にふらつきながらも懸命にがんばった。
皇国へ来てからもブデ夫人の策略により、あまり食事を取れていないが、祖国にいたときよりは量も種類も多いので、どうにか体力を維持できている。
「のんびりしていてはいけません! さっさと行きなさい」
ブデ夫人は追い立てるように、セラフィナを部屋から出した。
仕方ないのでセラフィナは授業の行われる講義室へ向かう。
廊下で偶然会ったマナー講師がセラフィナを見つけ、驚いて駆け寄ってくる。
「セラフィナさま! おひとりなのですか? 侍女はどうしました」
「あ……ひとりになりたいと私から言ったのよ。先生、授業をお願いします」
宮殿の中とはいえ、皇族がひとりきりで歩くなど通常は考えにくいものである。だが、本人からひとりになりたいと告げたのなら別だ。
講師は頷きつつも、どこか納得がいかないようで、小首をかしげた。
「おひとりになりたいということは……なにか考え事でもあるのですか?」
「いえ、そういうわけではないの。すぐに授業を行ってください」
「……わかりました」
ひとりになりたいのに授業は受けたいとは、矛盾していたかもしれない。セラフィナの本音としては皇国の侍女をつけてほしいのだが、ブデ夫人がいる限り無理だと思えた。
マナー講師はセラフィナを見下したりせず、礼節を保って丁寧に授業を行ってくれたので、やりがいがあった。
やがて授業の時間を終え、セラフィナは儀式でのマナーを習得した。
儀式といっても、宮殿で女帝に拝謁するのみの短い時間でのことだ。ただ、儀式が行われる場所は女帝が勅令を下したり、使者を迎える謁見の間なので、そこには皇族や高位の貴族が集まる。もしセラフィナが無礼を働くようなことがあったら、女帝はおろか、彼らから受け入れられないだろう。
ブデ夫人の存在が心配の種ではあるが、しきたりにより侍女がその場にいることはない。さすがに夫人といえども、しきたりを押し切って儀式に参加し、セラフィナの邪魔をするようなことはないだろう。
セラフィナが正式な皇女として承認を得るのは、ほぼ確実であるといえた。
安堵していたセラフィナだが、自室に戻ってきて異変に気づく。
「えっ……⁉」
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