第14話

 精緻に整えられた庭園の中央に東屋があり、そこを中心として様々な種類の薔薇が咲き誇っている。

 ふたりは赤い薔薇に彩られたアーチをくぐり、薔薇園に足を踏み入れた。

 大輪の真紅の薔薇、純白の小さな薔薇、さらに紫や黄色など、どれもが華麗だ。

「セラフィナは、どの薔薇が好きかな?」

「どれも……とても綺麗で選べないわ」

 セラフィナは感嘆の息を吐く。

 母が生きていた幼い頃、本物の薔薇を目にした記憶があるが、それはとてもおぼろなもの。

 だからセラフィナにとって薔薇は数少ない、ほんの小さな過去の幸せを象徴するものだった。 

 薔薇を愛でられる機会を与えてもらったことに感謝しつつ、オスカリウスとともに薔薇園を巡る。

「では、あなたの好きな色は何色だろうか?」

「どうしてそんなことを聞くの?」

 オスカリウスはセラフィナを覗き込むように、精悍な顔を傾けてきた。まるで薔薇よりもセラフィナが気になるかのように。

 互いの手をつないでいるため、ふたりの肩は触れ合うほどに近い。

「あなたのことを、たくさん知りたいからだ」

 彼の熱を帯びた双眸に、セラフィナは戸惑った。

 オスカリウスは、私に好意を寄せている……?

 そんなわけはない。今日、知り合ったばかりなのに。

 きっと、皇配候補として、皇女となったセラフィナへの儀礼ということなのだろうと思った。

 これまで誰からも顧みられることのなかったセラフィナは、好意を寄せられることなどないという常識が刷り込まれている。

 けれど、『好きな色は何色か』という質問には答えるのが礼儀である。

「好きなのは……青かしら」

 オスカリウスの瞳の色だから。

 彼の澄み切った紺碧の双眸は、とても美しい。

 だがそう答えると、オスカリウスは困った顔をした。

「青……なるほど。青薔薇というものは、現状では造花しかないのだが……」

「え? なにか言った?」

「いや、なんでもないよ。あなたに贈り物をしたい。受け取ってもらえるだろうか」

 贈り物をしたいなどと言われるのは初めてで、セラフィナは驚いてしまう。

 これまでの人生は、奪われるばかりだったから。

「私はなにも欲しいものはないわ」

「ふむ……。あなたは慎ましいのだね。だが贈り物といっても宮殿だとか、仰々しい物ではないよ。メッセージを記したカードはどうかな」

「それなら……いただくわ」

 カードなら、手紙と同じで遠慮せずに受け取れる。

 セラフィナは宮殿や宝石など高価なものを欲してはいなかった。

 あえて欲しいものがあるとしたら、他者から虐げられない立場が欲しい。

 皇女として女帝に認められたので、それはすでに手に入れたことになるのかもしれない。

 女帝やオスカリウスは、ブデ夫人のようにセラフィナを見下す態度を取らなかった。アールクヴィスト皇国でも、祖国と同じような扱いを受けるのでは……と密かに恐れていたので、こうして美しい庭園をゆるりと散策できる身分になれるなんて、僥倖だ。

 そのあともオスカリウスと薔薇の種類などについて語りながら、穏やかな時間を過ごした。

 オスカリウスは一貫して紳士的な態度で、散策を終えるとセラフィナを部屋まで送り届けてくれた。

「ありがとう、オスカリウス。とても楽しい時間を過ごせたわ」

「どういたしまして。また誘ってもいいだろうか」

「ええ、ぜひ」

 優美な笑みを残して去っていくオスカリウスの背を、名残惜しい気持ちでセラフィナは見つめた。

 彼の姿が廊下の角を曲がり、見えなくなる。ふとセラフィナは自分の格好を見下ろす。

 祖国から着てきたみすぼらしいドレスのままだ。

 華麗なジュストコールをまとったオスカリウスと並んで、とても不釣り合いだったのではないだろうか。

 セラフィナは自らのすり切れたドレスを恥じた。

 なぜ王女がこのようなドレスを着ているかについて、オスカリウスはひとことも指摘しなかったことを思い出す。

 彼の目に映らないわけがない。オスカリウスは、セラフィナになんらかの事情があると配慮してくれたのだ。

 女帝と同じく、大公のオスカリウスは人の服装ですべてを判断しないのだとわかり、信頼を持てた。


 セラフィナがアールクヴィスト皇国を訪れて、一週間が経過した。

 ドレスを一着しか持っていなかったセラフィナのために、女帝から数々のドレスを贈ってもらい、あてがわれた部屋のクローゼットは清楚なドレスでいっぱいになった。

 これからは正式な皇女であることを承認するための謁見の儀式が控えている。

 その儀式のためのドレスを、トルソーに飾っていた。

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