第11話

 みすぼらしい王女だと罵倒されることはなかった。

 女帝は着ているもので判断しないのだと知り、セラフィナの胸に安堵が広がる。

 ヴィクトーリヤの背後にいるオスカリウスのほかに、もうひとり眼鏡をかけた男性が女帝に付き従っている。侍従のお仕着せではなく、上等なフロックコートをまとっていた。

 女帝はセラフィナに、こちらの男性を紹介する。

「彼は宰相のアレクセイ・ドミトリエフ。まずは我が国のしきたりについて、アレクセイから説明してもらいましょう」

「よろしくお願いします、セラフィナさま」

 長い黒髪を束ねた宰相のアレクセイは、セラフィナに向かって慇懃な礼をした。

 彼の年齢はオスカリウスと同じくらいなので、まさか宰相という地位にある国の重鎮だとは思わなかった。

「よ、よろしくお願いします」

 セラフィナは慌てて礼を返す。

 羅紗張りの椅子に腰を下ろした女帝は、憮然としているブデ夫人にさらりと命じる。

「侍女は別室に控えていなさい」

「おそれながら、陛下。セラフィナさまは心身が健康ではありませんから、わたくしが常にそばにいなければなりません」

 ブデ夫人は揚々と答えた。

 セラフィナのそばを離れたら、養子縁組が成立してしまうかもしれない。そう考えたブデ夫人はこの場にいて、セラフィナを不利な状況に追い込むつもりだ。

「え……心身が健康でないなんて、そんなことは……」

 セラフィナが嘘を正そうと口を開くと、ぎろりとブデ夫人に睨まれる。それだけでもう、セラフィナにはなにも言えなくなってしまった。

 ところがヴィクトーリヤが、ブデ夫人に冷めた視線を投げて、こう言い放った。

「わたしは同じことを二度は命じない。そなたの魂はひとつしかないでしょう」

 ぽかんとしたブデ夫人は、瞬きを繰り返す。

 つまり女帝は、二度も命じさせる愚鈍な部下は、ひとつしかない魂を抜くと示唆しているのだ。魂がふたつあるのなら、二度命令してもよいという理屈である。

 意味を理解したのであろうブデ夫人は渋々退出した。

 女帝はブデ夫人の態度に訝しげに眉をひそめるが、すぐにセラフィナに向き直る。

「長旅で疲れているでしょうけれど、わたしとの公式の謁見の前に、そなたを養子に迎えるにあたっての条件を知ってもらう必要があるのです」

「は、はい。陛下」

 女帝の養子になるには条件があるのだ。

 そのような話は初耳なので、セラフィナは緊張に身を強張らせる。

 ヴィクトーリヤは宰相のアレクセイと、オスカリウスにも着席するよう促した。彼らは女帝と王女とは距離を保ち、それぞれ端の椅子に腰を下ろす。

 アレクセイは手にしていた冊子をかまえると、革製の表紙をめくった。

「それでは、セラフィナさまを陛下の養子とするにあたりまして、陛下が定めた新しい法律についてご説明いたします」

「はい。お願いします」

「まず、セラフィナさまは陛下に実子がいらっしゃらないことはご存じですね?」

「ええ。知っているわ」

 セラフィナは頷いた。

 君主であるヴィクトーリヤに跡継ぎとなる実子がいないので、セラフィナが養子として望まれたのだ。女帝には皇配がいるので結婚はしているが、彼女の年齢はセラフィナの母親ほどである。今後、女帝が懐妊する可能性はほぼないだろう。

 アレクセイは言葉を継いだ。

「アールクヴィスト皇国の伝統として、君主は女性であることが定められております。初代女帝以降、君主が女子を産めなかった事例はありましたが、その場合は姪を君主とすることで皇族の血統は保たれてきました。ところが陛下には、甥となるこちらのオスカリウス・レシェートニコフ大公ほか皇族の男子は数多くいらっしゃいますが、跡継ぎとなる血筋の女子はひとりもいません。これがなにを意味するか、セラフィナさまはおわかりになりますか?」

「……次の君主がいないということね」

「その通りです。打開策としては、いくつかあります。ひとつは男子を君主にすること。諸外国では男性が君主の国は多いのですが、アールクヴィスト皇国では考えられません。女性の君主は神聖な存在であるという考えが国民に広く根付いており、それがすなわち伝統であるからです。男尊女卑の社会で、女性が権力を持つなど考えられないという価値観とは真逆ですが理屈は同じですね。ここまで、よろしいですか?」

 セラフィナは、またひとつ頷いた。

 祖国では、まさに男尊女卑といえる社会構造なので、王や重臣はみな男性ばかりだった。女性が権力を持つには、クレオパートラのように強国から嫁いできた王妃という身分くらいしかないだろう。

「もうひとつの解決策としては、女性の養子を迎えて、皇族の男性を皇配にすることです。そうしますと女帝制度を維持しつつ、皇族の血を絶やさずに済みます。他国の王家からの養子であれば近親婚になりませんし、高貴な血統ということで国民も納得するでしょう。そこで白羽の矢が立ったのが、セラフィナさまというわけです」

「そういうことなのね。理解したわ」

 皇族が男性しかおらず、君主の候補がいないのだとしたら、仮に他国の王女であるセラフィナが女帝になったとしても、次の世代にはセラフィナと皇配の男性との間に生まれた女子が帝位に就ける。

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