第10話
ずらりと並ぶドアのひとつに辿り着く。ドアの脇にはお仕着せをまとった数人の侍女が控えていた。
「こちらの部屋で待っていてくれ。俺はセラフィナ王女が到着したことを、陛下に報告してこよう」
「ええ。お願いするわ」
オスカリウスがドアを開けると、そこは応接室だった。
豪奢な羅紗張りの椅子に、大理石のテーブル。室内には精緻な装飾で彩られた暖炉がある。
素敵な部屋に溜息を漏らしていると、退室したオスカリウスと入れ替わりに控えていた侍女たちが入室して、セラフィナに一礼した。
「王女さま。お着替えを、お手伝いします」
セラフィナが着ているのは、ぼろぼろにすり切れたドレスだ。これから女帝に面会するのに、この格好では訝しがられるだろう。
だが、そこへ当然のごとくついてきたブデ夫人が声をあげる。
「着替えは必要ありません。おまえたちは部屋から出ていきなさい」
突然の命令に、侍女たちは顔を見合わせる。
彼女たちにとってブデ夫人は見知らぬ他国のおばさんなので、命令に従う必要はない。
しかし、王女についてきたからには侍女頭など地位の高いおばさんだと思われるので、刃向かったら職を失いかねない。そもそも一介の侍女が宮殿において意見を申し立てることなど許されなかった。
彼女たちはブデ夫人の命令通り、部屋を出ていった。
困惑したセラフィナは、ブデ夫人の考えを問う。
「ブデ夫人。あなたが着替えさせるので、侍女たちは必要ないということなの? それではまるで、皇国を信用していないと思われ……」
「セラフィナさまは相変わらず、わたくしの話を聞いておりませんのね。わたくしは『着替えは必要ありません』と申し上げました。あなたはそのままの格好でよろしいということです」
セラフィナの発言を遮り、ブデ夫人は自分が主であるかのように居丈高に告げる。
着替えは必要ないとは、どういうことか。
さすがにこのぼろぼろのドレスでは、女帝に対して失礼ではないか。
「どうしてかしら。長旅だったし、着替えたほうが女帝陛下に対して……」
「まあまあ! さっそく皇国に染まるというのですか⁉ あなたはまだバランディン王国の王女なのですよ。女帝の養子になると決定したわけではないのですからね。ですからそのままでよいと言っています。わたくしの見解に間違いがあるのでしたら、おっしゃってみなさい」
セラフィナがなにかを述べようとすると、ブデ夫人はそれを遮り、自分の意見を無理やり押し通そうとする。
小さな溜息をついたセラフィナは着替えることを諦めた。
ブデ夫人はセラフィナが女帝の養子になることに反対なのだ。それは彼女の意思というより、王妃に命令されたことに従っているのだろう。
みすぼらしいセラフィナを見た女帝が、養子縁組を破棄することを望んでいる。
それは無論、バランディン王国にセラフィナが戻るためではない。
王妃は王国へ戻ってくることは許さないと明言していた。
養子縁組を断られて行き場をなくしたセラフィナを、路頭に迷わせるためなのだ。そうなったらセラフィナが女帝になる可能性など、万にひとつもなくなる。
どうしてもクレオパートラ王妃は、前王妃の娘であるセラフィナを不幸にしたくてたまらないらしい。
もしセラフィナが女帝に嫌われたなら、王妃の目論見が達成されてしまうだろう。
それだけは嫌だった。
追放されたなら、どこかの街で静かにパンでも焼いて暮らしていけるかもしれない。だが、王妃はセラフィナの死を見届けるまで諦めない。
それならば、いっそ女帝となって、王妃の手が及ばない地位へ上りつめたい。
けれど、女帝に会うためにドレスすら着替えられない今のセラフィナに、なにができるのというのか。
志はあるものの、セラフィナは満悦した表情のブデ夫人を横にして、ただ身を竦めていることしかできなかった。
ややあって、ドアの外に複数の足音が鳴り響く。
「陛下のお越しです」
侍従によって告げられ、ドアが開かれた。
部屋の隅に佇んでいたセラフィナは息を呑む。
アールクヴィスト皇国の女帝ヴィクトーリヤは、優美な微笑みを浮かべていた。
黒髪に青い瞳が印象的な美女だが、双眸は為政者の茫洋さを帯びている。
彼女は女帝らしく、金糸の織り込まれた漆黒のドレスをまとっていた。
威厳のある佇まいに圧倒されたセラフィナは、膝を折る。
「はじめまして、陛下。バランディン王国の第一王女、セラフィナでございます」
女帝の前で、セラフィナはただの小娘だった。
しかも、女帝とは対照的なみすぼらしいドレスなのだ。栗色の髪は櫛を通していないので、ぼさぼさである。
だがヴィクトーリヤは眉をひそめることなどなく、双眸を細めてセラフィナを見やる。その瞳は慈愛の色を帯びていた。
「遠いアールクヴィスト皇国まで、よくぞ来てくれました。賢そうな顔つきの王女ね。あなたを歓迎するわ、セラフィナ」
「お目にかかれて光栄です、陛下」
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