第8話
そうすると、みすぼらしいドレスを着た王女のセラフィナが、豪華な衣装を着ている偉そうな侍女を従えているということになる。ゆえに、宿の者たちは奇妙なその構図に疑問を覚えずにはいられないわけである。
ブデ夫人はセラフィナを『罪人の娘』と言えれば、宿の者たちが納得すると思っているのだろう。だがさすがに夫人の立場上、セラフィナの身分を偽ることはできないので歯がゆいらしい。
なんらかの事情があり、王女は虐げられているのだと察した宿の者たちの憐憫を含んだ視線が痛いが、セラフィナは彼らに感謝していた。
食べ物を恵んでもらえなければ、セラフィナはアールクヴィスト皇国へ辿り着く前に餓死していたかもしれない。
家族よりも隣人よりも、初対面の他人がなんの代価も払えないセラフィナを救ってくれたのだ。いつか、この恩に報いようと、セラフィナは心に刻む。
平穏な耕作地が広がる街道を馬車は駆けていく。
初夏の緑が爽やかで、皇国は穏やかな雰囲気だった。セラフィナはアールクヴィスト皇国を気に入り、微笑みすら浮かべて車窓から景色を眺めていた。
不遇な身の上の彼女にとって、緑の広がる耕作地は、見ているだけで心が安らぐものだったのだ。
きっと皇国の人々も、優しいのではないかしら……。
けれど過度な期待はしないほうがよいかもしれない。
社畜だった前世を思い返すと、ブラック企業から逃れようと転職した先は、またブラックだったりするものだから。
やがて馬車は耕作地帯を抜けて、首都へ辿り着く。
隣のブデ夫人は、田舎だとか馬鹿にしていたが、整備された街並みは綺麗だった。
さらに首都の奥へ向かうと、壮麗な宮殿が車窓いっぱいに広がる。
セラフィナは思わず感嘆の声を漏らした。
「まあ……なんて素晴らしい宮殿なのかしら!」
まるで巨大な鳥が羽を広げたかのような華麗さだ。
庭園の向こうに佇む宮殿はミントグリーンの壁の色が爽やかで、何百という数の窓が規則的に並んでいる。
正門で検問した衛士は清潔な軍装をまとっていた。
馬車が通ることを許可され、宮殿の正面へ向かって広い道を駆けていく。
セラフィナの鼓動が早鐘のごとく高まる。
いよいよ、アールクヴィスト皇国の宮殿へ到着するのだ。そして、女帝陛下に挨拶する。
ところがその胸の高鳴りを叩き潰すかのように、ブデ夫人が御者に命じた。
「裏口に馬車を着けなさい!」
御者は命令通り、手綱を操って馬車の方向を転換する。正面玄関を避け、建物の脇に設置された裏口を目指した。
セラフィナが正面玄関を振り返って見ると、王女の到着を待っていたのであろう侍従や侍女たちが戸惑っている様子が見て取れた。
「ブデ夫人。なぜ、裏口へ向かうの?」
裏口は主に、召使いの通用口として使用するものである。
女帝の養子となるべく訪れた他国の王女が通るところではない。
車輪が止まり、馬車は裏口へ停車した。もちろん、迎えの者は誰もいない。
ブデ夫人は厳めしい顔つきで、セラフィナに言い聞かせた。
「よろしいですか、セラフィナさま。あなたは分をわきまえなければなりません。堂々と正面から入れるような王女などではないのですから、裏口から入るべきです。そもそも、あなたを養子にするのは子のいない惨めな女帝だからです。このようなみすぼらしい王女を養子に迎えるという愚行を犯すなんて……」
ブデ夫人の説教は延々と続いた。
彼女はアールクヴィスト皇国の人間ではないし、まして女帝と話したこともないはずなのに、事情をすべて承知したかのように述べる。
ちなみにブデ夫人は独身であり、実子と養子どちらの子どももいない。
独り身だからこそ女帝の気持ちが理解できるといった方向なのかと思いきや、そうではなく、女帝を貶めるかのような発言が飛び出す。
セラフィナは冷や汗をかいた。
いかにセラフィナが不要な存在なのにもかかわらず養子になるのかといった見解はともかく、君主である女帝を『子のいない惨めな女帝』などと評するのはまずい。ここはすでにアールクヴィスト皇国なのだ。女帝の住まう宮殿の敷地なのである。この話を皇国の人間に聞かれでもしたら、ブデ夫人はおろか、セラフィナの首が飛んでしまいかねない。
「あの、ブデ夫人、そろそろ宮殿へ……」
「なんですって⁉ わたくしの話を遮るだなんて、なんて生意気なんでしょう。口答えするなんて王女の資格……フガッ」
はっとしたセラフィナは、とっさに背もたれのクッションをブデ夫人の顔に当てた。
誰かが馬車に近づいてきたからだ。
現れた男性は優雅な仕草で、馬車のドアを開けた。
「失礼。なにかありましたか? 馬車が止まってから、しばらく時間が経ったようだが」
甘くて深みのある声をかけた男性の容貌に、セラフィナは息を呑む。
輝く白銀の髪はさらりと額に落ちかかり、紺碧の双眸は深い海を思わせる。眉目秀麗な顔立ちからは知性が滲み出ていた。
すらりとした体躯を上質のジュストコールに包んでいるが、華奢ではない。背が高く、鍛えていると思われる剛健な肩、そして強靱な胸板は勇猛な雄を感じさせた。
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