第7話
けれど、明日はアールクヴィスト皇国へ出立するのだ。
遠い未来のことかもしれないが、もしもセラフィナが女帝になれる日が来たとしたら、祖国へダイヤモンドを贈呈できる。
そうして祖国と縁を切るのだ。
この瞬間、セラフィナには将来の目標ができた。
なにも希望がなく、死を望まれていた王女が、明日へ向かって歩き出せたのである。
ダリラはきつい眼差しでセラフィナを見た。戸口に立っている痩身を、どんと乱暴に押しやる。
「あんたがダイヤをもらえるほど偉くなれるわけないでしょ。皇国で野垂れ死ねばいいのよ!」
捨て台詞を吐いたダリラは出ていった。彼女が荒らした部屋は台風が去ったあとのごとく静かで、荒廃していた。
祖国の最後の日が、盗人に荒らされた部屋で過ごすのは悲しい限りだ。
けれどセラフィナの胸には希望があった。
「私……いつか、女帝になるわ」
それは儚い夢かもしれない。
でも虐げられた王女のまま悲惨な死を迎えるのは、ひとりの人間として生を受けたセラフィナの矜持が許さなかった。
横倒しにされたベッドを直す気にもなれず、セラフィナは引き裂かれた毛布にくるまり、朝を迎える。
兵士が迎えに来たので、王宮の裏口へまわった。
そこには辻馬車のような質素な馬車が一台のみ待機していた。無論、出立のための式典や見送りなどはない。父王は来ていなかった。
王の正式な娘である第一王女の出立としては、考えられない粗末さである。
これまでの扱いを鑑みると、セラフィナにとってはごく当然なので驚きはしない。
前日に、セラフィナの衣装について父と王妃が揉めたようだが、荷台には衣装ケースらしきものが積まれていた。もしかして、父が用意してくれたのだろうか。
ほのかな期待を持ってセラフィナは馬車に乗り込んだ。
ところが、隣席に悠々とブデ夫人が座る。
セラフィナは目を瞬かせて、豪華なコートをまとっているブデ夫人を見やった。
「……ブデ夫人は見送りなの?」
「なにをおっしゃいます。わたくしは王妃さまの命を受けて、セラフィナさまの教育係として同行するのですよ」
なんと、ブデ夫人がアールクヴィスト皇国へついてくるらしい。
彼女は王妃付きの女官なので、これまでにセラフィナになんらかの教育をしてくれたことなど一度もない。まさかとは思うが、監視役ということだろうか。
「……もしかして、馬車の荷台に積まれている荷物は、ブデ夫人の私物なの?」
「もちろんですとも。アールクヴィスト皇国は極寒だと聞き及んでいますからね。毛皮をたくさん持参いたしますわ。わたくしは寒さが嫌いなのに、ああいやだ」
父が用意してくれた衣装だと思ったのは、セラフィナの思い違いだった。儚い期待は最後まで満たされることはなかった。
思わず溜息をついたセラフィナは、ぽつりとつぶやく。
「お局さまって、やだやだ文句は言うけど会社は辞めないのよね」
「なんですって?」
「いえ、なんでもないわ」
目を吊り上げたブデ夫人に微苦笑を見せる。
今のセラフィナの希望は女帝になる未来と、前世の記憶による慰めのみだった。
御者が手綱を取り、馬車の車輪が回り出す。
アールクヴィスト皇国へ向けて、誰も見送りがないアラサー王女の馬車は出立した。
一か月ほどをかけて、ついに馬車はアールクヴィスト皇国の領地へ入った。
極北へ近づくたびに気温は下がり、朝晩は痛むほどに体が冷える。
今は初夏なので、まだ凍え死ぬことはないが、セラフィナが着ている薄いドレス一枚では、皇国の冬はとても越えられないだろう。
ブデ夫人は豪華な毛皮をまといながら、寒い寒いと連呼していた。途中に立ち寄る宿では、セラフィナに食事を与えようとせず、宿の者に「この娘に食事はいりません」と毎日断る台詞を聞かされる。
首をかしげた宿の主人が「この方は王女さまではありませんか?」と言うと、奇声を発したブデ夫人が皿を投げつけるので、宿の者たちに申し訳なかった。
セラフィナは水を飲んで空腹を耐えつつ、宿の者がこっそり与えてくれるパンを食べて飢えをしのいだ。
わかってはいたが、ブデ夫人は徹底的にセラフィナを虐待するために、王妃から同行を命じられたのだった。
ブデ夫人が食べている宿の食事は豪勢なものもあったが、都合により鳥の丸焼きが提供されないときもあった。そんなとき夫人は機嫌が悪くなり、宿を出て馬車に乗り込んでも罵倒の台詞がとまらなくなる。
「まったく! なんて粗末な食事なんでしょう。王女王女と平民どもが、うるさくて耳障りだわ。ああ、罪人の娘と言えないのが腹が立つったら」
ひとりごとのつもりらしい。ブデ夫人は隣でセラフィナが聞いているのに、いっさいの遠慮がない。
王女の一行が立ち寄ることは、事前に各宿へ通達されている。ブデ夫人はセラフィナよりかなり年上なので、どう見ても王の娘には見えない。
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