第5話

 セラフィナはそっと部屋側のドアをわずかな隙間だけ開けてみた。

「ここは……王妃の部屋ね」

 壁一面が金箔に彩られ、黄金の彫像が鎮座している。花瓶や椅子も黄金で造られていた。

 バランディン王国は決して豊かではないのだが、王妃は贅を尽くした部屋に住んでいる。彼女は、祖国の自室はすべてが黄金に囲まれていたと主張して譲らない。

 この部屋をもっと広げようと改築した際に、召使いの控えの間を狭くしたらしい。

 通常は前室くらいの広さがあるはずの控えの間には、待っているときに座るための椅子などもあるのだが、王妃は召使いが座るのは不遜だとして椅子を置かない。椅子を置くためのスペースすらないのである。ゆえに召使いは王妃が呼ぶまで、何時間だろうとここで立って待機することになる。

 溜息を吐いたセラフィナは、ひとりごちた。

「いるわよね。ほかの人が得するのは、自分が損するみたいに考えてるお局さま」

 ちなみにブデ夫人は王妃付きの女官なので、控えの間で待つということはない。女官用の部屋で待機し、召使いに呼ばれたら王妃の部屋へ駆けつけるのだ。

 お気に入りの人だけ優遇するというやり方も、いかにもお局さまらしい。

 もっとも、お局さまという肩書きはセラフィナの前世の記憶にしか存在しないのだが。どこの世界にでも、いじわるで嫌味な年増の女性というのはいるものだ。

「だいたい独身か、家庭がうまくいってない人たちなのよね……。私は、ああなりたくないわ。でもそんなこと言ってるから前世はおひとりさまだったのかな」

 しばしの間、社畜時代を思い返していると、王妃の部屋から鈴の音色が鳴った。

 主人が召使いを呼ぶときに使う鈴である。

 セラフィナは召使いではないのだが、控えの間にはほかに誰もいないので部屋に続くドアを開ける。

 すると、女王のごとく顎を上げたクレオパートラが鈴を振り、こちらを睥睨していた。

 食堂では出ていけと命じたのに、なぜセラフィナを呼び出したのだろうか。

「王妃さま。晩餐はどうされたのですか?」

 素朴な疑問を述べると、キッと敵のようにセラフィナを睨みつける。

「おだまりなさい。おまえのせいで王さまは気分を害したのよ。そこから一歩も部屋に入ってはなりません」

「はい」

 言われたとおり、ドアの手前で佇む。

 どうやら晩餐は中止されたようだ。

 呼び鈴を卓に放り投げたクレオパートラは、代わりに扇子を手に取った。

 閉じた扇子を、リズムをつけて鞭のように前後に振る。

「養子に出すからには、それなりの衣装を持たせなければならないと王さまが言うものだから、わたくしは断固反対したわ。あのような卑しい娘にどうして我が国の財産を分け与えなければならないの、とね」

「はあ」

 前王妃の娘なのに『卑しい』とは、クレオパートラは前王妃にまったく敬意を払っていないという考えが透けて見える。彼女にとって前王妃は、死してなお目障りな存在なのだろう。

「いつもはわたくしの言うことに逆らわないのに、王さまは皇国になんと言われるかと心配ばかり。体面を気にして、ちっともわたくしの気持ちをわかろうとしないわ。銀鉱山が手に入るのはもう決まっているのだから、こんな娘は身ひとつで放り出せばよいのに」

「はあ……」

 セラフィナは曖昧に返答した。

 予想はついていたが、セラフィナを女帝の養子に差し出す代わりに、銀鉱山を交換条件として提示したらしい。

 バランディン王国の北側の山脈には、鉱脈が豊かな銀鉱山がある。その鉱山はアールクヴィスト皇国の所有物なのだ。皇国は遥か北なのだが、大昔に訪れた皇国の使者が山一帯を買い取った。そうして派遣された山師が鉱脈を掘り当てたのだという。

 まさか銀が産出されるとは知らなかった当時のバランディン王は、返してほしいと嘆願したが、買い戻す金がそもそもなかった。山一帯を売り払って入手した金貨は、豪遊して使い切ってしまったのである。

 この昔話は、『愚かなバランディン王』として語り継がれている。

 価値あるものを手にしていても、目利きのない人間にはそれを活かせず、挙げ句に易々と手放してしまい後悔するという教訓だ。

 無論、こっそり街の人が笑い話にしているだけだが、その逸話はセラフィナの耳にも届いていた。

 セラフィナに銀鉱山ほどの価値があるのか不明だが、歴代の王が喉から手が出るほど欲していた銀鉱山を取り戻せるのなら、父は喜んでセラフィナを差し出すだろう。

 これで国庫も潤うのではないかと思われる。

 セラフィナの目から見ても、クレオパートラとダリラが贅沢をしているせいで、国の財政は傾いているはずだ。

 愚かなバランディン王のような結末にならないといいけれど……。

 せめて国のためになるのならば、衣装などいらなかった。

 どうせアールクヴィスト皇国へ行っても、似たような境遇だろうから。

「王妃さま。私は衣装は必要ありませんので、どうか王さまと喧嘩をしないでください」

「そういうことを言っているのではないの。おまえは本当に愚図ね。わたくしの話を聞いているの?」

「はあ」

 先ほどから、しっかり聞いているのだが。

 ならば、どういうことなのか説明してほしいので、セラフィナはそう伝えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る