第2話
自分が変わらなければ、結局は似たような人生を送るということだろうか。
だが、やり直すにはセラフィナは遅すぎると感じていた。
セラフィナは前世と同じく、アラサーなのである。
水の入った重い桶を、息を切らせてセラフィナは運んだ。
王宮の敷地内の、もっとも端にある小屋に辿り着き、桶を置く。じんと腕が痺れた。
「ふう……。前世でもこんなことをやっていた気がするわ。職場ではなぜか女性だけというか、私だけが掃除をさせられるのよね」
沸々とよみがえる前世の記憶に、さらに落ち込んでしまう。
楽しい思い出でもあれば気が楽になるのかもしれないのだが、残念ながら嫌なことしか脳裏に浮かばない。
汲んできた水は顔を洗うのと、飲料水にも使用するため、ドレスを洗濯する前に別の容器に取っておく必要がある。
小屋の中に入ったセラフィナは、注ぎ口が欠けた水差しを探した。
室内は狭く、家具らしいものは壊れかけのベッドがひとつだけ。
あとは人ひとりがどうにか立てるだけのスペースしかない。壊れた窓は風が吹くたびに、ばたばたと雑音を鳴らす。戸板もゆるんでいるので、小屋の中に塵や埃が飛んでくる。それをセラフィナは一日中、ほうきで掃いているのだ。
掃除をしても、またすぐに風のせいで小屋は埃だらけになる。終わりがないのだが、セラフィナにはそれしかすることがないのである。
水差しが見つからないので、セラフィナは汚れたほうきを手にすると、風で溜まった埃を掃いた。
みすぼらしいドレスに、ぼさぼさの髪で腰をかがめているセラフィナは、とても王女には見えないだろう。罪を犯した王族の蟄居のほうが、まだましな暮らしを送っているのではないかと思える。
悲しくて涙がこぼれてしまう。
涙を拭おうにも手が汚れているので、目元をさわったら目を痛めてしまうかもしれない。涙すら拭う権利もないのかと思うと、いっそう胸が締めつけられるように痛むのだった。
「あ……あったわ」
風で飛ばされたらしい水差しを、ようやくベッドの下から見つけた。取り出して埃を払う。
こうして小さな幸せを見つけていこう。
セラフィナはそう胸に刻んだ。
たとえ絶望の中にあっても、希望を心に持っていたなら、なにかが変わるかもしれないから――。
気を取り直して水差しを手にしたセラフィナは、外に出る。
そのとき、こちらに向かってきた王宮の兵士が小屋の外に置いていた桶につまづいた。
「あっ」
声をあげたのはセラフィナだった。
桶は横倒しになり、せっかく苦労して汲んできた水はすべて流れてしまう。
兵士は迷惑そうに顔をしかめるだけで、謝罪すらしない。まるで、ここに桶を置いていたセラフィナのほうが悪いといわんばかりだ。
がっかりしたセラフィナは、土に染み込む水を悲しげに眺める。希望を持ちかけたところだったのに、まるでそうはさせないという悪意があざ笑っているかのようだ。
肩を落としているセラフィナに、兵士は無感情に言い放つ。
「王女セラフィナ――。今夜は王が晩餐にお呼びだ」
それだけ言うと、さっさと兵士は踵を返した。
『王女』という敬称を使われるのは久しぶりのことで、セラフィナは目を瞬かせる。先ほど通りかかった召使いたちのように、もはやセラフィナは王女扱いされていない。しかも王が晩餐に招待するだなんて、ありえないことだった。
「もしかして、父上は私の処遇を改めてくれるのかしら……?」
期待してもいいのだろうか。
常に沈んでいる心が浮上しかけるが、倒されてしまった桶を目にして、不穏なものを覚える。
不幸の境遇にあるセラフィナは、いったいなにを信じればいいのかわからない。希望の芽を何度も無残に踏み潰されてしまうと、もはや核すら残らなくなる。
けれど、父である王から晩餐に招待されたのは確かなのだ。
戸惑う思いを胸に秘め、セラフィナは桶を手にすると、再び川へ水汲みに向かった。
やがて日が暮れ、晩餐の時刻を迎えた。
生乾きではあったが、洗って綺麗にしたドレスをまとい、セラフィナは緊張した面持ちで王宮へ足を踏み入れる。
生まれた場所なのに、なぜか王宮は寒々しい。
ここはもはやセラフィナの居場所ではなく、王妃と義妹の支配する宮殿なのだった。
生母の記憶がほとんどないセラフィナには愛された思い出がない。
せめて母の遺品でもあれば、それをよすがにできたのだが、母にはそのような余裕がなかったのか、指輪のひとつもセラフィナが受け継ぐ品物は残されなかった。
だからセラフィナの身を飾るものは、なにもない。
兵士が守護する王宮を歩き、晩餐の行われる食堂へ赴く。
入室する前に、セラフィナは礼儀を示すため、ドレスの端を摘まんで一礼した。
「王女セラフィナ、まいりました」
食堂には上座に、父である王が座っていた。その斜め向かいには王妃のクレオパートラ。そして王妃の向かいに第二王女のダリラが着席している。
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