第47話
彼からの贈り物を、ありがたく受け取ろうという素直な気持ちになれたのも、貴臣が愛情をもって接してくれたおかげだ。
そして……お腹の赤ちゃんも。
そっと腹部に手をやる。そこはまだ膨らんではいないけれど、ふたりの愛の結晶は確かに息づいているのだ。
そのとき、控え室の扉がノックされ、貴臣が入室してきた。
着飾った私を見た貴臣は目を見開く。
「美しいな。惚れ直した」
そう褒めた貴臣は私の後ろに立つと、鏡を覗き込む。
鏡の中にいる彼は純白の礼装を纏っていて、私のほうこそ惚れ直すほどの美丈夫だ。正装を纏ったふたりは眩く煌めいて、鏡に映っていた。
「馬子にも衣装というじゃない? 着物が素敵だから美しく見えるのじゃないかしら」
「そんなことはない。葵衣が着ていない空の着物は、色褪せている。おまえの美しさが着物を輝かせているんだな」
貴臣は私の左手を掬い上げた。薬指には先日贈られたダイヤモンドの婚約指輪がはめられている。光り輝く指輪越しに私の顔を愛しげに見つめる貴臣に、頰が熱くなった。
「もう。貴臣ったら……まだ髪を仕上げていないのよ。美容師さんが困っているじゃない。あなたはお客様の相手をしてきて」
着付けがあったので堂本組の若衆たちは下がらせている。控え室で私の髪を結い上げていた女性の美容師は、微苦笑を見せた。
朗らかに笑った貴臣は、手の甲にひとつ唇を落とす。
人前でもこんなふうに愛情を示そうとするのだから、困ってしまう。私は幸せの絶頂にいることを噛みしめた。
今日までの準備で忙しかったので、妊娠したことはまだ報告していない。のちほど伝えるつもりだけれど、きっと貴臣は喜んでくれるだろう。
「わかった。連合会長の機嫌を取ってくることにするか。碁ばかり打ってる会長も、葵衣を紹介したらこの美しさに驚くぞ」
傍に控えていた薬師神をともない、ようやく貴臣は控え室を出ていった。
美容師は夜会巻きにした私の髪に、螺鈿細工のかんざしを飾る。
連合会長を含む重鎮に会うのは初めてのことだ。貴臣の花嫁として、恥ずかしくないよう振る舞わないと。
これからの挨拶を改めて頭で復唱していたとき、再び控え室の扉がノックされた。
「貴臣? どうしたの?」
声をかけると、ギイと軋んだ音を立てて扉が開かれる。
そこにいたのは、紋付きの訪問着を纏った真由華だった。彼女の唇に塗られた真紅の口紅は、妖艶な笑みを描いている。
「うちはお祝いしにきたんや。婚約おめでとう」
「真由華さん……」
「パーティーの前に、つまらん誤解をとかなあかん思てな。人に聞かれるんは困るから、ちょっと向こうで話せるか?」
彼女は謝罪をしに来てくれたのだ。まさか祝福されるとは思っていなかったが、もしかしたら誰かに反省を促されたのかもしれない。謝ってもらえるのなら、階段から突き落とされたことを責めるつもりはない。足の捻挫はとうに治癒しているのだから。
「ええ、ぜひ」
快諾した私は席を立ち、真由華とともに控え室を出た。
賓客はすでに会場に入って歓談している最中なので、廊下にはひとけがない。
真由華は廊下の隅にある錆びついた扉を開けて中に入った。あとに続くと、そこには使われていない家具などが積み重ねられている。倉庫として使用している部屋らしい。
「ここで……?」
「誰にも聞かれたくないんでなぁ。実はうち、貴臣さんを諦めて牧島に乗り換えよ思うてんねや」
「……えっ、そうなの?」
私の聞き間違いだろうかと目を瞬かせる。あれほど貴臣に執着していた彼女が、あっさりほかの人を好きになるなんて意外だった。
真由華は気まずそうに視線を逸らした。
「組のためもあるんでなぁ。後ろ盾を考えんと。ほら、今日はお父さんの代わりに、うちが黒川組の名代で来とんねや。せやから周りの目もあるやろ? こないだのことは黙っといてくれるか? 頼むわぁ」
両手を合わせて拝むように頼まれる。殊勝な彼女に同情心が湧いた。
「安心してちょうだい。私は階段での一件を明らかにするつもりはないわ」
「ほうか……ま、喋りたくても、喋れんけどな」
え、と首を捻ったとき、眼前に白刃が閃く。
息を呑み、身を引いた。
ざくりと白綸子の袂が引き裂かれる感触に、背筋が怖気立つ。
「な……なにをするの⁉」
短刀を手にした真由華は舌打ちを零した。
そのとき、倉庫に踏み込んできた人影を目の端に止める。
――助かった。
安堵がよぎるけれど、それは不穏な気配をもたらす。
「真由華お嬢さん。傷をつけてもらっちゃ困るな。その女はあとで俺が使うんだぞ」
悠々としている牧島は、この状況を目にしても驚く様子がない。まるで、こうなることを知っていたかのようだ。
牧島を睨みつけた真由華は、袂から束になったロープを取り出した。
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