第45話
「それについてはよかったんだがな。入院は不服だ。ここにいたら葵衣に会えないだろう」
「毎日お見舞いに来るから寂しくないわよ。堂本組のみんなには、命に別状はないから心配しないようにと言っておくわね」
優しく言い聞かせると、貴臣は微苦笑を浮かべつつも頷いた。
妊娠したことを話したいという思いがよぎったけれど、今は私の胸に秘めておいたほうがよいだろう。これ以上、彼の心労を増やしてはいけない。
薬師神にその場を任せて、私と咲夜は病室を辞した。
ひとまず貴臣が無事だと確認できてよかった。彼の着替えを取りにいく傍ら、堂本組のみんなに報告してあげよう。
安堵の息を吐いた私は廊下を歩きながら、背後に付き従う咲夜に声をかける。
「お守りのおかげだわ。ありがとう、咲夜」
「自分は、何も。あれはお嬢さんのアイデアですから。玲央さんにも教えて……」
ふと、咲夜は言葉を切った。
わめきたてる女性の声が、耳に届いたからだった。
聞き覚えのある声の主は階段を上ってくるようで、次第にこちらへと近づいてくる。
「あいつは何をやっとんのや! 貴臣さんを襲撃してどないすんねん。うちが殺してほしい言うたのは葵衣とかいう女のほうやぞ」
「お嬢様、落ち着いてください。牧島に任せたんですから、文句は言えませんよ。切り捨てられる下っ端を雇っているだけですから、手違いということもありえますし……」
階段を上がり、角を曲がってきたふたりの人物は、私たちに出くわして足を止めた。
黒川組の若頭は、あっと声を上げて視線を逸らす。
彼にお嬢様と呼ばれていた真由華は怯みもせず、ぎろりと私を睨みつけた。
「なんや……盗み聞きとは、ええ度胸やないか」
「盗み聞きしたわけではないわ。あなたが大声で話していたのよ、真由華さん。誰かに聞いてほしかったのではなくて?」
彼女が話していた内容は聞き捨てならない。手違いがあったようだが、襲撃を命じたのは真由華なのだ。しかも彼女は、私を標的にするつもりだったという。
ぜひとも詳しい話を聞かなければならない。
私は睨みつけてくる真由華から視線を逸らさず、対峙した。
舌打ちした真由華は蝿を払うように手を振る。
「おまえら、外しいや。女同士で話さなあかん」
彼女は私とふたりきりで話したいようだ。
黒川組の若頭は一礼すると、踵を返した。だが咲夜は戸惑いを見せる。
「しかし、お嬢さんをひとりにするわけには……」
「平気よ。私も真由華さんとふたりきりで、お話しがしたいわ」
きっぱり言い切ると、咲夜は口を噤んで頭を下げた。彼の姿が廊下の向こうへ消えるのを確認して、真由華に視線を戻す。
彼女は面白くなさそうに、ふて腐れた顔をしている。
「真由華さんは、貴臣のお見舞いに来てくれたの? それとも、どのような手違いが起こったのか、確かめに来たのかしら?」
「……証拠でもあんのかい。うちはなにも知らん。おまえの耳がおかしいだけやろが」
どうやら、私の聞き間違いであったと彼女は主張したいようだ。けれど漏らされた情報は咲夜も耳にしている。
「あなたは銀山会の牧島に私への襲撃を依頼したけれど、手違いで貴臣が襲われたということでいいのかしら。貴臣の身が危険にさらされた以上、この件を空耳だとして流すわけにはいかないわ」
目を見開いた真由華は、突然私の胸ぐらを掴み上げた。
「きゃ……っ、なにをするの⁉」
「死にや、死にや! おまえなんか、なんで現れたんや、いなくなり!」
掴みかかる真由華の手を外そうとして揉み合いになる。
階段上で揺さぶられ、ぐらりと体勢を崩した。
両手で突き飛ばされ、息を呑む。
階段の上で笑みを浮かべる真由華の顔を目に映しながら、私の脳裏をよぎったのは、お腹の赤ちゃんのことだった。
「……う、くぅ……っ」
お腹を抱えながら階段を転げ落ちる。足に衝撃を感じた。頭を打ちつける間際、咄嗟に伸びてきた腕に庇われる。
「お嬢さん、お怪我はありませんか⁉」
「う……咲夜……」
咲夜に抱え起こされて、踊り場に座り込む。
ずきりとした痛みが足首に走ったけれど、お腹は打っていなかった。
見上げると、階段上に真由華の姿はすでになかった。
「階段下の壁に張りついて様子をうかがっていました。組長の襲撃も、黒川真由華が首謀者なんですね」
珍しく怒気を漲らせた咲夜は、今にも真由華を追っていきそうだ。
けれど彼女だけを問い詰めても、全容を解明できないかもしれない。牧島もこの件にかかわっているのである。
「待って、咲夜。今は抑えてちょうだい」
痛みに呻き声が上がりそうになったが、懸命にこらえる。
はっとした咲夜は私の足首に目を落とした。
「足を怪我したんですね? 組長に知らせます」
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