第41話

 幼い頃から『堂本組の跡取り』『極道の組長』という肩書きを背負ってきた俺を、他人はその名称でしか見なかった。明るく笑い、ふざけたことを言うと、極道らしくないなどと揶揄されたこともある。組長として、極道らしさも意識して作る必要はあるだろう。

 だが葵衣の前では何も繕わなくていい。どんな俺でも受け入れてくれたのは彼女だけだ。

 俺の嫁になる女は、葵衣しかいない。

 今は結婚を保留という形にしてはいるが、いずれ正式に堂本家の嫁として迎える。葵衣は極道の姐御になることを初めは拒否したものの、次第に周囲に馴染んできたようだ。最後に説得するとしたら、子を産んだときだろう。彼女の性格上、子を置いて出ていくのはためらうはずだ。なにしろ俺の肩に深爪を立てて、痛くないかと心配するような女だからな。

 気になるのは、葵衣が小さなことを秘密にするところだろうか。

 すぐにできる簡単な願いとは何なのか、考えてもまったくわからない。

 物ではなく行動だというのは間違いないが、それはいったい……

 そんなふうに転がされるのもまた、楽しいと思える。

 葵衣を想い、目元を緩める俺に、薬師神は別の図面を提案する。

「堂本さんのお気持ちはわかりました。ですが葵衣さんを選びますと、銀山会と対立したときに黒川組の応援はいっさい得られないことになります。わたくしの見解ですが、牧島がこのまま大人しくしているとは思えません。堂本さんを目の敵にしている彼のことです。黒川組に接触して、なんらかを仕掛けようと画策するかと考えられます」

 薬師神の最大の懸念は、銀山会の実質的な権力者である牧島恭介のようだ。

 そういえば若頭会の席で、俺に黒川の娘という許嫁がいるなどと言い出したのは牧島だ。黒川組が吹聴している単なる噂話なので、葵衣には説明していなかった。

 だが誤解というものは説得によるものではなく、行動で解くべきである。

 賛同を求められた黒川組の若頭は無関係を装っていたが、牧島が周辺に火の粉を撒き散らしたいという思惑は透けて見える。放置するわけにはいかない。

 葵衣との結婚のためにも、俺が行動を起こすことが必要だと感じた。

「どうやら、牧島に年貢を納めてもらうときがやってきたようだな」

 その言葉に呼応するかのように、社長室の扉がノックされる。入室を命じると、とある調査を任せていた幹部が穏やかな表情で入ってきた。

「失礼いたします。社長から委任されておりました調査の報告にまいりました」

 彼は堂本組の幹部ではあるが、構成員すらもその存在を知らない男である。主任として会社の業務を任せており、極道の会合などには一度も顔を出させていない。

 どこから見ても折り目正しいサラリーマンにしか見えない容貌は稀少だ。

「成果はあったか?」

「はい。充分すぎるほどです。銀山会の牧島恭介が、麻薬組織と取引を行っている現場の証拠写真を入手しました。こちらになります」

 慇懃に差し出された写真には、どこかの駐車場に停めた車から顔を覗かせている牧島が、売人と思しき男から小包を渡されている様子が写されていた。ご丁寧なことに連写したようで、十数枚の写真が時系列とともにデスクに並べられる。

 写真を目にした薬師神は眼鏡の奥の双眸を細める。

「牧島が麻薬を扱っているという噂は事実だったのですね」

 それは以前から情報を得ていたのだが、牧島はなかなか尻尾を掴ませなかった。

 極道のシノギは様々なものがあるが、ヤクを扱うのは御法度である。これが連合会長に知られたら、間違いなく破門だ。つまり牧島は極道の世界にいられなくなる。

 幹部は穏やかな口調で報告を続けた。

「こちらの現場は料亭の駐車場なのですが、牧島は取引の前に、料亭の個室でとある人物と密会しております」

「黒川組か?」

「そうです。組長の娘、黒川真由華でした」

「なに……⁉」

 組長か若頭あたりだろうと予想していたが、まさか真由華だとは思わず、純粋に驚いた。

 牧島がヤクのシノギに誰かを巻き込むならば、黒川組が適任だ。美味いシノギは独り占めしたいものだが、密告されたときに味方がいないと窮地に立たされる。銀山会を裏切れない小さな組織に少々のシノギを分け与えれば、いざというときに庇ってもらえるか、盾にできるというわけである。俺が黒川組長と真由華を袖にしているので、そこに牧島は目をつけたのかもしれない。

「密会で話された内容は聞いたか?」

「主に分け前の相談ですね。牧島と黒川組は手を組んで麻薬取引を行っています。それから黒川組長が連合会長の職を望んでいるので、取引を手伝う代わりに銀山会に推薦してもらいたいという注文が真由華からありました」

「なるほど。親父が連合会長になれば、やりたい放題だからな。さすがに牧島の実績と人望では、次期会長には手を上げられない」

 苦笑いを零した俺の顔を、ちらりとうかがった薬師神が疑問を投げかける。

「堂本さんの前で下世話な質問をすることになり恐縮ですが、真由華さんと牧島は男女の関係にあるのですか?」

「答えは、まだないと言えます。黒川真由華はほかにも誰かを襲ってほしいだとか様々な要求を出しましたが、牧島は難色を示していました。互いの取り分についてはまとまりましたが、そのほかの要求については未定といった結果です。こちらが記録したレコーダーになります」

 優秀な部下を持つと助かる。証拠が残されているのなら、牧島の首根を掴んだも同然だ。

 ただ、真由華が誰かを襲ってほしいなどと依頼したことが気になった。真由華が邪魔に思っているその相手は葵衣と予想されるからだ。

 さっそく薬師神が提出されたレコーダーを再生すると、ふたりの生々しいやり取りが流れてくる。

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