第36話

 貴臣に抱かれていると夢中になってしまい、つい肩や腕を掴んでしまうのだ。

 けれど彼はまったく嫌がるそぶりを見せない。

「気にならないな。むしろ、そんなに感じてくれるのかと思うと嬉しくなる。ほかの女に掴まれたら振り払うけどな」

「ふうん……ほかの女というのは、もうひとりの許嫁かしら?」

 小石を投げて波紋を呼ぶと、指先にくちづけていた貴臣は真顔になる。

 その手をシーツに縫いとめた彼は、私の体に覆い被さった。

「クラブでの話だがな、黒川組の娘が俺の許嫁という事実はない。俺は承諾していない。黒川組が勝手に吹聴しているから、噂が独り歩きしているだけだ」

 真摯な双眸を向けた彼は、明瞭に言い切った。

 もうひとりの許嫁についてはあくまでも噂であり、貴臣自身は承諾していないことを本人の口から明確に言ってもらえたので、私の胸には安堵が広がる。

 けれど、当人の意向が尊重されるわけでもないことを私は知っていた。

 なぜなら私たちこそが、祖父の契約に基づいて許嫁となったのだから。

 まして極道の世界では様々な思惑が渦巻いている。もしかしたら、貴臣の知らないところで結婚の話は進められているのかもしれない。

 彼を信じたい思いと、面白くない気分が綯い交ぜになった私は唇を尖らせる。

「どうかしら。極道の世界にはいろんなことがあるものね」

「おいおい……勘弁してくれよ。俺にはおまえだけだと言ってるだろ」

 困り顔をした貴臣は、ちゅっと唇にくちづけてきた。

 貴臣は捕らえた獲物を宥めるかのように、深みのある甘い声を耳元に吹き込む。

「何がほしい。マンションか? 別荘でもいいぞ」

「いらないわよ……。どうせそこに籠もって子作りするつもりでしょ」

「当然だろう。おまえとつながっているときだけが俺の癒やしだからな」

 胸を揉みしだいてくる男のてのひらから逃れようと、私は脱ぎ捨てられた服に手を伸ばした。

「そうだわ。私から貴臣にプレゼントがあるの」

 ぴたりと手を止めた貴臣は体を起こした。

 彼は私の顔を視線で舐めるように見つめてくる。

「妊娠したのか?」

「……残念だけど、違うわ」

 子どもができたことを期待した彼に、まさかプレゼントが手作りのお守りだとは言い出しにくくなってしまった。

 ポケットにお守りの入ったスカートを握りしめたまま、機会を失ってしまった私は俯く。

 渡したところで、なんだこんなものかと、がっかりされるかもしれない。そう思うと、もう手が動かなかった。

 微笑を浮かべた貴臣は、私の耳朶を指先でくすぐる。

「どうした。俺へのプレゼントはまだか?」

「……やっぱり、あげられないかも。とても小さなものなの」

「そう言われると気になるじゃないか。それじゃあ、交換しよう」

「交換? でも私は、別荘やマンションはいらないわよ」

「だからな、俺のほうからも小さなプレゼントをする。葵衣が俺にくれようとしているものと引き替えだ。プレゼント交換なら、気兼ねなく俺に渡してくれるだろう?」

 そう言ってもらえると渡しやすかった。同等の小さな贈り物ならば、それは彼の笑顔でもよいのだから。

「そうね……。それなら、これ、もらってくれたら嬉しいわ」

 ポケットからお守りを取り出し、そっと貴臣のてのひらに乗せる。

 大きなてのひらに悠々と収まる青のお守りを目にした貴臣は、じっと眼差しを注いでいた。

 彼がどんな反応をするのか怖くて、私は上目で表情をうかがっては、また俯くことを繰り返す。

「これは……手作りなのか?」

「そうなの。貴臣が危険な目に遭いませんようにと、願いを込めたわ。このお守りの材料を買うために行った商店街で、銀山会の人たちに捕まってしまったの」

 ふっと笑った貴臣はお守りを握りしめると、私の体に腕を回して抱きしめた。

「まったく、しょうがないやつだな。俺のためを思ったのに、おまえが危険な目に遭っていたらどうしようもないだろう」

「ごめんなさい。どうしても、貴臣にお守りを贈りたかったの」

 抱きしめる腕を緩めた貴臣は私と目を合わせ、鼻先を擦り合わせる。彼の肌と吐息が甘くて、ほろりと心が綻んだ。

「俺の身を案じてもらえたのは初めてだ。最高のプレゼントだよ。ありがとう。大切にする」

 その言葉に、じんと胸が感激に包まれた。

 私、貴臣が好きだわ……

 たとえかりそめの夫婦だとしても、彼のことが好き。

 極道なんて怖いと思っていたのに、貴臣が見せる優しさに惹かれてしまった。危険な世界に身を置く彼を守りたいという愛情が胸の奥から湧き出てくる。

 だけど、この想いは打ち明けてはいけない。跡取りを産んでしまえば、私たちの関係は終わるのだから。

 切ないけれど今は、お守りを受け取ってもらえた喜びだけを胸に刻もう。

 そう思った私は複雑な想いを胸に秘め、愛しい貴臣の笑顔を目に焼きつける。

「そうだわ。お守りは中身を見てはいけないそうだから、開けないでね」

「わかった。中を見ないと約束しよう。ところで俺のほうからのプレゼントだが、思いつかないな。このお守りと引き替えに、葵衣は何がほしい?」

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