第32話

 真紅の壁と絨毯が彩る華麗な廊下を進むと、最奥に目的のVIPルームがあった。華麗な装飾が施された扉の脇には、黒服のボーイが控えている。

 彼は近づく私を警戒するように、扉の前に立ち塞がった。

「お客様、こちらへのご入場はお控えください」

 静かに述べられたが、有無を言わさぬ拒絶が込められている。

 もしかしたら、大事な話し合いが行われているのかもしれない。

 私の後ろにいる玲央がボーイに告げる。

「通してくれ。責任は俺が取る」

「そういうわけにはまいりません。どうぞ、お戻りになってください」

 にべもなく断られ、ボーイは白手袋をはめた両手を掲げた。入室は許可できないというサインだ。

 けれど、ここまで来て引くわけにはいかなかった。

 勇気を奮い立たせた私は、毅然として言い放つ。

「私は堂本組の姐御よ。ここにいる堂本貴臣に、会わせてもらうわ」

 はっとしたボーイは怯んだ。その隙に彼の脇をくぐり抜け、金の装飾が飾るドアノブに手をかける。

 ぐいと引いて室内に足を踏み入れる。

 その瞬間、甘ったるい葉巻の香りが鼻腔をくすぐった。

 ぴたりとさざめきがやみ、室内にいた人たちの視線が一斉にこちらに向けられる。

 半円型のソファにずらりと座るスーツ姿の男たちはみな、鋭い目つきをしている。彼らは極道の幹部だ。その隣には、それぞれ大胆なドレスを纏った美女が寄り添うように腰かけていた。大理石のテーブルには高級そうな琥珀色のブランデーボトルがいくつも鎮座している。

 豪奢な緋の空間はVIPルームに相応しい人たちと調度品ばかり。

 そこで私だけが異質な存在だった。

 中央に腰かけていた貴臣は驚きに目を瞠り、手にしていたグラスを揺らす。

 私の脳裏を一瞬、怒鳴られるかもしれないという恐れがよぎる。

 けれど、彼の両隣に綺麗な女性が座っているのを目にして、憤りが胸を占めた。

「こんばんは。お邪魔だったかしら」

 自分でも驚くほど冷静に述べる。少し離れた丸椅子に座っていた舎弟らしき男たちが、怪訝な顔をして立ち上がった。

 そのとき、素早くグラスを置いた貴臣が席を立つ。彼は扉の前にいる私のところまで大股でやってきた。

「葵衣、どうした。何かあったのか?」

 すぐに報告しなければならない事態が起こったのかと思われたのだ。貴臣は緊張を漲らせている。

 そういうわけではないので、申し訳ないという思いが胸に広がった。

「急用ではないの。突然来てしまって、ごめんなさい。どうしても貴臣に会いたくて……」

 ほっと肩の力を抜いた貴臣は笑みを浮かべる。彼は私の手を取り、腰を抱いた。

「それならいい。せっかくだから飲んでいけ。――おい、おまえら散れ」

 貴臣のひと声に、それまで彼の隣に座っていた女性たちが、さっと席を立つ。舎弟たちは丸椅子に腰を落ち着けた。私のあとから入室した玲央も、黙してそちらに座る。

 主の座るべきソファの中央に、貴臣は私を抱き込むようにして座らせた。強引に腰を抱かれているので、彼の言うとおりにするしかない。

 詮索するような幹部たちの目線が突き刺さる。そこには薬師神と、銀山会の若頭である牧島も同席していた。

「私が参加してもいいの? 綺麗な女性たちと楽しくお酒を飲んでいたのではなくて?」

 会合かもしれないが、彼らはゆったりと構えてグラスを傾けている。

 貴臣が私以外の女性と楽しんでいたと思うと反発心が湧き、尖った声が出た。

 ぐい、と私の肩を引き寄せた貴臣は、顔を覗き込んでくる。

「彼女たちは店のフロアレディだから接客するのが仕事だ。これも浮気だなんて言うなよ? 俺にはおまえだけだ」

 深みのあるブランデーの香りが混じった呼気を吹きかけられる。その香りと甘い言葉だけで、くらりと酩酊するような気分になってしまう。

 怒っているわけではないけれど素直に許したくはなくて、唇を尖らせる。すると、葉巻をくゆらせていた牧島が喉奥から笑いを零した。

「勘弁してくれよ、貴臣。てめえの女を自慢するための若頭会なのか?」

「黙ってろ、牧島」

 貴臣は鋭い双眸を投げ、低い声音で命じる。

 舌打ちを零した牧島は、指に挟んでいた葉巻をブランデーグラスに突き入れた。クリスタル製の灰皿がテーブルにあるというのに。

 ジュッと音を立て、かすかな煙が上がる。

 牧島は煙越しに、黙々とグラスを傾けている陰気そうな男に声をかけた。

「貴臣には黒川のお嬢さんという許嫁がいるっていうのにな。堂々と女を連れてこられたら、あちらさんが困るだろう。――なあ、黒川組の若頭さんよ」

 その言葉に、どきりと嫌なふうに鼓動が鳴る。

 貴臣に、私以外の許嫁がいる……どういうこと?

 牧島の投げかけた言葉に反応した幹部たちは、黒川組の若頭だという男をさりげなくうかがう。

 だが彼は、ちらりと牧島を見ると、すぐにグラスに目線を戻した。

「自分は存じませんので」

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