第31話
「車を出してちょうだい。貴臣のところに行くわ」
「……どう言っても無駄みたいですね。わかりました」
了承した玲央とともに離れを出て、玄関先に車をまわしてもらう。
すでに辺りには夜の帳が降りていた。車寄せから見える空には、細やかな星屑が瞬いている。
そこへ、玲央の運転する車がゆっくりとやってきた。
一歩踏み出した私の肩に、ふわりと柔らかなコートがかけられる。
ふと振り向くと、そこには心配げな顔をした咲夜がいた。
「お嬢さん。今から外出されるんですか?」
硬い声でそう訊ねた彼は、私の肌に触れないよう、コートの襟を整える。軽くて温かなコートは、肌寒い夜にちょうどよかった。
「ええ。貴臣のところに行ってくるわ。すぐに帰ってくるから、心配しないで」
「自分も同行したいですが謹慎中なので……あと二名ほど若衆をつけましょうか?」
「平気よ。ちょっと様子を見てくるだけだから」
私用なのに堂本組のみんなを振り回すわけにはいかない。運転手として玲央ひとりがいてくれたら充分だ。
咲夜を安心させるため微笑を浮かべると、運転席から顔を覗かせた玲央がこちらに向けて軽く手を上げた。任せておけ、と言いたいらしい。
ひとつ頷いた咲夜は後部座席のドアを開ける。
「いってらっしゃいませ」
車に乗り込んだ私は、咲夜に見送られて堂本家をあとにした。
等間隔に灯された常夜灯の並ぶ私道を、車はゆっくりと進む。
強気で外出したものの、今さらかすかな怯えが込み上げてきた。
でも、どうしても貴臣に会いたい。
彼が私の知らない世界でどんなことをしているのか、この目で確かめたかった。
ポケットに入れたお守りを、きゅっと握りしめる。
「ねえ、玲央。会合の場所は、堂本組の人間が入ってもよいところなのかしら」
先日の一件を思い出し、ほかの組の縄張りではないか、玲央に確認を取ってみる。
玲央は革張りのハンドルを操作しながら、前を向いたまま答えた。
「それは心配ありません。クラブのオーナーは、うちの組長です。でかい箱だから海外のカジノみたいな感じですよ」
そう言われても、海外のカジノに行ったことがないので想像ができない。貴臣がオーナーの店ならば少なくとも入店を断られたり、シマについて争う事態にはならないはずだ。
安堵した私は、煌びやかなネオンに彩られた夜の繁華街を車窓から眺める。
酔っ払ったサラリーマンや、居酒屋の呼び込みをしているスタッフなどたくさんの人々で街は賑わいを見せていた。
やがて車は繁華街の奥に辿り着く。この辺りは喧噪とは程遠く、人もまばらだ。建ち並ぶビルの中にある、ひときわ大きな建物が目立っていた。入り口の黄金のドアの前に、黒服のドアマンが直立している。
一見すると何の店かわからないが、ここは女性が接待してくれるクラブらしい。周辺には、煌びやかな女性の写真が看板に掲載されている店がいくつもあった。
玲央は店の前の道路に停車した。
「ここです。高級店なので仕切りがありますけど、ほかの席を覗いたりしないでくださいね」
「わかったわ」
そのような不躾なことはしないつもりだ。玲央の注意に頷いたけれど、このような店に入るのは初めてなので緊張が漲る。
玲央に後部座席のドアを開けてもらい、外に降り立つ。夜風が吹いたので、ぶるりと体を震わせる。咲夜にコートをかけてもらってよかった。
ドアマンに近づいた玲央は何事かを手短に告げる。すると、心得たドアマンにより、すぐに黄金の扉が開けられた。振り返った玲央は私の入店を促す。
「行きましょう。俺が先に行くわけにはいかないので、お嬢さんが前を歩いてください」
「どうして?」
「どうしてって……そりゃ、格がそうなってるからですよ。俺がお嬢さんを従えて前を歩いたら、俺の女ってことになるじゃないですか。お嬢さんは組長の女ですから、その人を差し置いて若衆が前に出るなんて、ありえません」
「そういうものなのね……」
またしても厳格な縦社会を垣間見る。男性をもてなすクラブで堂々と前を歩くなんて臆しそうになってしまうけれど、貴臣に会うためだ。
私は胸を張り、優雅な歩調で店に入った。
きらきらと輝く巨大なシャンデリアのもと、真紅の絨毯が張り巡らされている室内は豪華絢爛な非日常の世界だった。半円の囲いのある客席がそこかしこにあり、煌びやかなドレスを纏った女性がスーツを着たお客の話相手をしている。軽やかな笑い声は、さざ波のように寄せては引いた。
タキシードを着用したボーイと遭遇するが、彼らは慇懃に頭を下げるだけで咎めてきたりはしない。
私の背後に付き従う玲央が、店の奥にある螺旋階段を指し示した。
「VIPルームは二階です。ここで会合があるときは、いつもその部屋を使います」
「そうなのね。とても広いお店なのね」
「ドル箱の大型店ですからね。一階で一時間飲むだけでも、サラリーマンの月収が飛びますよ」
ここは気軽には入れない高級店らしい。金色の蔓模様が細工された螺旋階段を上ると、二階にはずらりと飴色の扉が並んでいた。ラグジュアリーな雰囲気が醸し出されているこのフロアは特別な客のための個室のようだ。
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