第30話
作業を続ける咲夜を残し、私と玲央は厨房から出る。
「ふたりはとても信頼し合っているのね。なんだかうらやましいわ」
「そりゃあ、今は交代しているとはいえ、同じ厨房で調理と調理補助をやってるわけですからね。料理を仕上げる行程で会話が増えるし、達成感もあるし、やっぱり信頼関係は生まれますよ」
ともに作業をすることで信頼関係が生まれる……
それは、貴臣と私が子作りを行っていることにも当てはまるのではないだろうかと、ふと気づいた。
私たちの間に信頼は生まれているのか。
彼に愛されて、ただ快楽に溺れているばかりで、互いの絆は深まっているかと胸に問い質してみると、よくわからない。
これまでの私の経験から、いくらふたりで食事をして日常的な会話を重ねても、絆が固くなることはない、という結論が導き出されていた。肌と心を触れ合わせなければ、どこまでいっても他人なのだ。それは婚約破棄されて、今まで築き上げていたと思ったものがいとも容易く瓦解したことから確信していた。
でも、貴臣のことは信じたい。
彼は簡単に心変わりするような男ではないと思いたかった。
銀山会の事務所に迎えに来てくれたのは己の面子のためだけではなく、私の身を案じてくれる気持ちもあったはずだと。
その思いが強いほど、妊娠して出産したあとに態度を翻す貴臣を想像しては落ち込んでしまう。
リビングに戻った私は、厨房でもらった品物をお守りの中に入れた。
――極道として生きる彼が、危険な目に遭いませんように。
私の抱える懊悩は様々なことがあるけれど、もっとも大切なのは貴臣の身の安全だ。銀山会との一件で、それを重く感じた。
完成したお守りを、そっとてのひらに包む。
心の中で願いを唱えていると、新しいお茶を用意している玲央がさりげなく口を出す。
「大丈夫ですよ、お嬢さん。神に祈らなくても、妊娠しますって」
またもやあけすけすぎる言葉をかけられて、かくりと肩を落とす。
「……妊娠しますように、と祈ったわけじゃないわ……」
苦笑しつつ、ノンカフェインのハーブティーを口にする。
近頃の飲み物がすべてカフェインレスなのは、妊娠を意識したものだと私も気づいていた。
周囲の期待はかすかに感じるけれど、妊娠の兆候は、まだない。
むしろ孕んだら、貴臣と暮らす生活に終わりが見えてくる。
そう思うと、胸が軋んだ。
私、ずっと貴臣と一緒にいたいのかしら……
悶々と考えても答えは出ない。ふと気がついたとき、新しく淹れてもらったハーブティーはとうに冷めていた。
その日、夕食の時間になっても貴臣は帰ってこなかった。
待たなくていいという旨を玲央から聞いたので、私は咲夜が作ってくれたハーブチキンをひとりで食した。
爽やかな香りのハーブチキンはとても美味しいのだけれど、貴臣がいないだけで食卓は味気ないものになってしまう。
これまでは夕食に間に合わないといったことはなかったのだが、仕事が忙しいのだろうか。彼は朝、出かけるときは何も言っていなかった。予定があるなら、せめてひとことだけでも話してほしかったのに。
食器を片付けに来た玲央に、事情をうかがってみる。
「ねえ、玲央。貴臣は仕事が忙しいのかしら。いつ帰ってくるの?」
「仕事といえばそうですね。何時かは……かなり遅くなると思います。今日は先に休んでいいんじゃないでしょうか」
まるで今日のうちは帰ってこないかのような言い方に、不安を煽られる。
しかも仕事というより、私には言いにくい用事で帰ってこないのだと察した。
すぐさま決意した私は、席を立ち上がった。
「玲央。私を、貴臣のところに連れていってちょうだい」
意表を突かれた玲央は、空の食器を持ったまま立ち竦んでいる。
けれど彼はすぐに嫌そうに顔を歪めた。造形が整っているので、歪めた表情すら美しい。
「行かないほうがいいと思いますよ。お嬢さんが入るようなところじゃないですし」
「ということは、貴臣の居場所を知っているのよね?」
「まあ……知り合いの幹部たちが集まって会合する場所ってことなんですけどね。接待ですよ」
玲央は濁しているが、おそらくホステスがいるクラブのような店ではないだろうか。もちろん私はそのような店に入ったことはなかった。
女性とお酒を楽しむために、貴臣はあえて帰りが遅くなることを私に伝えなかったのだ。
なぜか胸がむかむかしてきて、このまま大人しく待っていられそうにない。
私はスカートのポケットに入れていたお守りに、そっと触れた。
貴臣が帰ってきたら手渡そうと思っていたけれど、こうなったら私から会いに行って渡そう。
そう奮起でもしなければ、渡せそうになかった。なにより、今すぐに貴臣に会いたくてたまらない。
焦燥を覚えた私は心を決めて玲央に向き直る。
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