第27話
けれど貴臣は、まず咲夜に目を向けた。
「咲夜。おまえがついていながらどういうことだ」
「申し訳ありませんでした。自分の落ち度です」
九十度に腰を折った咲夜は何も言い訳をせずに謝罪する。
この事態を招いたのは咲夜のせいではなかった。私が無理を言って、あの店で買い物をしたいと望んだからなのだ。
「咲夜は悪くないわ。私が……」
「おまえは黙ってろ」
ぐさりと貴臣に命じられ、言いかけた口を閉ざす。
頭を下げ続ける咲夜に、貴臣は裁定を下した。
「一週間の謹慎だ。玲央に代わって厨房に籠もってろ」
「承知しました」
私は、ほっと安堵の息を零す。
咲夜は玲央と交代して調理の担当を任されるのだ。私の護衛からは外されるようだが、指を切り落とすなどということにならずに済んでよかった。
貴臣が軽く手を振ったので、玲央と咲夜はその場を辞した。
次は私の番だ。
何を言われるのか、どきどきして貴臣の言葉を待つ。
だが嘆息した貴臣は、肘掛けに肘をついて凭れた。部下が犯した失態の後始末に疲れ果てたといった風情だ。
その様子を目にした薬師神は、眼鏡のブリッジを押し上げつつ淡々と述べる。
「銀山会に、つけいる隙を与えてしまいましたね。牧島のことですから、初めからこちらの弱味を握るつもりで葵衣さんに近づいたのでしょう」
「あの男は昔から厄介だった。媚びたと思えば平気で刺してくるからな。始末が悪い」
「銀山会の組長は病気のため療養中だそうで、隠居している状態です。実質的に若頭の牧島が権力を握っています。また堂本組に揺さぶりをかけてくると考えられます」
「そんなことはわかっている」
ふたりの口ぶりから察するに、牧島は友人どころか、むしろ敵のようだ。
私は牧島が主張していた話を思い出す。
「牧島さんは、貴臣のお父さんの仇討ちに尽力したと言っていたけれど……事実ではないの?」
言いにくいことかもしれないけれど、貴臣の過去について知りたかった。
双眸を細めた貴臣は、私を通して遠くに目を向ける。
「銀山会の舎弟のひとりに過ぎなかった牧島が台頭したのは、俺の親父を殺した犯人を挙げたことに始まっている。抗争で親父を撃ち殺したのは、当時の銀山会の若頭とされた。連合の三下だった銀山会のため、堂本組を吸収しようと独断でやったことだとな」
風聞のような曖昧な言い方なので、私は小首を傾げる。貴臣の中では確証はないということだろうか。
眉間に皺を刻んだ貴臣は言葉を紡いだ。
「連合会長である堂本権左衛門の采配により、銀山会の若頭は破門。牧島は裏切り者を追放した功績で昇進した。今ではあいつが若頭だ。牧島は形勢が悪くなると、そのときのことを持ち出しては俺に恩を売ってくるのさ。仇を討ってやったのは己だとな」
「しかし、終わってみれば牧島こそが裏切り者であるわけです。自分の兄貴を売ったも同然ですからね。もしかしたら、堂本組の先代を殺害したのは牧島であり、彼は若頭に罪をなすりつけたのではないかとも思われます」
薬師神の大胆な発言に、驚いた私は目を見開いた。
そうなると仇を討ったどころか、牧島は貴臣のお父さんを殺害した真犯人ということになる。
苦い顔をした貴臣は、首を捻る。
「やつならやりかねないな。だが、証拠がない」
「今のはあくまでもわたくしの推測にすぎません。銀山会では若頭の破門をすんなりと受け入れました。あちらの内部に我々は関与できませんが、すでに牧島が裏で手を回していたのではないかと疑念が残ります。結果的に、若頭になりかわったわけですからね」
「あの一件で抗争が終結したのも事実だ。犯人は破門された若頭だ。連合会長が決定したことを今さら蒸し返すな」
貴臣のひと声に、薬師神は一礼した。
銀山会の先代若頭が責任を取る形で、貴臣の父親が殺された件は抗争とともに終結したらしい。牧島へ対する疑念がくすぶったまま。
私の知らない世界で、様々な思惑が交錯し、流血沙汰が繰り広げられていたのだ。当時の貴臣が父親の死を呑み込んだことに、切なさを覚えた。
嘆息を零した貴臣は私に向き直る。
「そういうわけだ。極道ってのは、血なまぐさい世界なのさ」
抗争により殺害された貴臣の父親。咲夜の指を切り落とすことを指示した牧島。そして牧島に刃を突きつけた貴臣。
そこかしこに漂う血の匂いを覚えて、ぶるりと身を震わせる。
私には極道を背負う覚悟なんてない。
『堂本組の姐御』を名乗れる日は、きっと訪れないのだと思えた。
事務所を出た私は、離れのリビングに戻ってきた。
買い物をした袋が入っているバッグを、憂鬱な気持ちでソファの端に置く。
お守りの材料を買いたかっただけなのに、大変な目に遭ってしまった。それも私が無知だったからいけないのだ。特に、牧島に隙を与えてはならなかった。
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